札幌西福音キリスト教会は日本福音キリスト教会連合(JECA)に加盟している福音主義のプロテスタント教会です。
JECAに関する紹介は → こちら (JECAの公式ページ)
連絡先: 〒063−0061 札幌市西区西町北9丁目3−18
TEL(011)661−5769・FAX(011)661−5786
E-mail : swecc@socj.org(牧師と事務職員の2箇所に転送されます)
|
■ 教会沿革 |
1968年にOMFの宣教師、レイノルズ夫妻の開拓伝道によって、西野の借家を利用して宣教準備が開始され、翌年「西野福音キリスト教会」と命名され、第一回目の日曜礼拝が捧げられる。
1972年のトレボ宣教師の時代に、現スーパー西友裏の一軒家に引越。
1974年、西野から現在の西町(当時手稲東)に土地、建物を購入し「札幌西福音キリスト教会」と改名。
現在の会堂は1990年、相馬剛師(現平和の福音キリスト教会牧師)の時代に、それまで使用していた会堂を取り壊し、同じ場所に建築される。(右写真)
2016年4月より、杉本博徳師が就任し現在に至る。
|
■ 教会ロゴ |
下の赤い部分は、神のことばが記された聖書が開かれている様子を表しており、それが信仰の土台となっています。今の時代における神様からの啓示はすべて、この聖書のみことばによって私たちに表されています。
聖書の右側が風になびいているように広がっているのは、聖霊の働きを表しています。
中央の十字架は、イエス・キリストが私たちの罪のために、いのちを捨てて下さったことを表しています。
十字架の左右の曲線がハート型を形成していることで、神様の愛を表しています。この天と地と私たち人類を創造された神様は、私たちを愛し「高価で尊い」と語りかけて下さっています。
ハートの左側の黄色い部分は、世界を照らし出す光を表しており、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れた人は、イエス・キリストの弟子として、この暗やみの世に光を届け、神様の栄光を現すのに用いられます。
|
■ 牧師紹介 |
杉本博徳(すぎもとひろのり)
1967年、北海道名寄市に生まれる。
20歳の時、札幌の単立キリスト教会にて、イエス・キリストに対する信仰を持って洗礼を受ける。
1985年、電子機器メーカーの技術者として勤務している間に、直接献身の召しを受け退社し、翌年から3年間、北海道聖書学院で学ぶ。
卒業後、母教会の教会スタッフ、超教派宣教団体職員、札幌のOMFの教会での牧会スタッフ、愛知県のJECAの教会の牧師を歴任し、2016年4月より、札幌西福音キリスト教会の牧師として着任。
妻と3人の子の5人家族。
趣味、特技は楽器(ギター、ベース)、デザイン、イラスト、パソコンいじり、音響ミキシングなど。
ブログ<A lamp to my feet and a light for my path>にて、礼拝メッセージの要旨、録音、原稿をアップしています。(1週間毎に更新)→こちら
|
■ 信仰告白 |
私たちは以下の事柄を信じ、教会活動の規範としております。
1. [聖書]
聖書は、旧新約六十六巻からなり、すべて神によって霊感された、誤りのない神のことばである。聖書は、神が救いについて啓示しようとされたすべてを含み、信仰と生活の唯一絶対の規範である。
2. [神]
神は、唯一であり、霊なるお方である。その存在、知恵、力、聖、義、愛、真実において無限、永遠、不変である。神はその本質において一つであるが、父、子、聖霊の三位において永遠に存在しておられる。
3. [神のみわざ]
神はその主権によって万物を創造し、支配しておられる。神は、みこころのままに、罪人を救うため、時至って御子を世に遣わされた。
4. [人間]
神は人を神のかたちに創造された。最初の人アダムは神との正しい関係にあったが、サタンの誘惑により、神のみこころに背いて罪を犯し、堕落した。すべての人はアダムにあって罪を犯したので、生まれながら罪の性質を持っており、神の御怒りのもとにある。
5. [キリスト]
主イエス・キリストは、まことの神であり、まことの人である。主は、聖霊によってみごもった処女マリヤから生まれ、人類の罪のために、身代わりとして十字架の上で死に、葬られ、三日目によみがえり、天に昇られた。主は今、父なる神の右に座して大祭司の務めをしておられる。
6. [聖霊]
聖霊は、人に罪を認めさせ、新たに生まれさせて、神の子どもとされる。聖霊は、キリストを信じる者の内に住み、その人々を、この世でキリストにあって生きる者とし、キリストのかたちに形造られる。
7. [救い]
救いは、キリストの身代わりの死を信じる者に与えられる神の恵みの賜物である。罪が赦され、義と認められた者は、滅びることなく、永遠のいのちを与えられる。
8. [教会]
教会は、キリストをかしらとするからだであり、みことばの宣教により、聖霊によって新生した者の集まりである。教会は、神のみこころに従い、神を礼拝し、聖書を学び、バプテスマと聖餐の礼典を守り、福音を宣教し、主のしもべとして互いに仕え、福音のために共に戦い、愛のわざに励み、主の再臨を待ち望む。
9. [再臨と最後の審判]
主イエス・キリストは、みからだをもって再び来られる。死者はからだをもってよみがえり、すべての者がさばきの前に立つ。主は信じる者を永遠の祝福に、信じない者を永遠の刑罰に、分かち定められる。主は終わりにすべてを新たにし、御国を父なる神に渡される。
|