マタイ2章1〜12節 「東方の博士たちの礼拝」
【序:クリスマス礼拝】
私たちは毎週日曜日のこの時間、神様を礼拝するために集まっておりますが、今日の礼拝はクリスマス礼拝として、ちょっと特別な日となっております。先ほどの子ども向け礼拝ラブキッズの時間もイエス・キリストがこの世にお生まれになった時のお話でした。これは今から2000年ほど前に実際に起きた出来事です。大人向けのこの聖書宣教の時間はそのイエス・キリストが生まれた後の出来事について触れてみたいと思っております。
イエス・キリストが生まれた場面を再現する置物とかには、飼い葉桶の中に寝かされているイエス様と、その両親マリヤとヨセフ、それから羊飼い達と家畜が数頭、あと3人の博士たちがセットになっているものを見かけることがあります。しかし聖書をよくよく観察していくと、事実はこの置物のような状況にはなっていなかったということが分かってきます。
今日はこの誤解を解きつつ、この東の国からやってきた博士たちに注目して、イエス・キリスト誕生の事実を確認し、それがどのような意味があるのかという視点で一緒に学んでみたいと思っております。
【東方の博士たち】
では、今日の聖書箇所に目を向けてまいりましょう。今日注目する「東方の博士たち」ですが、彼らはどこからやってきたのでしょうか。聖書で「東」という地名が出てくると一般的には「バビロン」を指しますので、この博士たちはバビロンという国か、もしくはその周辺からやってきたと考えられます。バビロンからエルサレムまでを直線距離で結ぶと900km程になりますが、この間は砂漠になっているので、まっすぐ来ることはできません。ですからバビロンからエルサレムに向かうにはユーフラテス川に沿ってその上流、北西にむかってから南下するという移動を行わなくてはなりません。そうなると約1600kmの移動が必要です。それは簡単に移動できる距離ではありません。途中何度も宿泊しながら少なくとも1か月以上はかけてやってきたと考えられます。
では彼らは何者だったのでしょうか。新改訳聖書では「博士」と訳されていますが、新共同訳聖書では「占星術の学者」現代訳では「天文学者」と翻訳されています。当時「科学」と「占い」は明確な区別がされておらず、星を研究している天文学者たちが、それを元に占星術の占いを行っていということで、日本語に翻訳された聖書ではこのように様々な表現がされているのです。ともかく、少なくとも彼らは「星に関する専門家」であったようです。2章2節で「東のほうでその方の星を見たので」とあります。彼らが常日頃、空を見上げそれを研究し、天体に何かしら不思議な動きがあったときに、いち早くそれを発見して、様々な文献から その意味を考え判断していったのでしょう。今回は星を見たことが「ユダヤ人の王が生まれたことによる」と判断して、エルサレムにやってきたのです。
星と王様の関係については民数記24章17節に以下のようにあります。「私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。」これはバラムという預言者が語った内容で、メシア誕生に関する預言と理解されています。ここで言われている「ヤコブから一つの星」とあるのがこのことと考えられます。
ではどうしてバビロンの学者達が民数記というユダヤ人の所有している律法を知っていたのでしょうか。これを考える材料としてはダニエル書にそのヒントがあります。ダニエル書は、この時から約500年程以前に、ユダヤ人のダニエルという預言者がバビロンの国で活動した記録が書かれているものですが、その中に次のような記録があります。
バビロンの王、ネブカデネザルという人物が夢を見て、その解き明かしの出来るものを探して呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せました。しかし彼らが答えた内容は2章10、11節で「この地上には、王の言われることを示すことのできる者はひとりもありません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデヤ人に尋ねたことはかつてありません。王のお尋ねになることは、むずかしいことです。肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできる者はいません。」ですが、このことばによって王は怒り、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じました。しかし、この時にユダヤ人のダニエルが王の夢を解き明かしたことで、彼らは事なきを得て、ネブカデネザル王から殺されることはありませんでした。要するにバビロンの学者達はユダヤ人のダニエルによって命拾いをしたということです。その後の呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人たちについての記録は聖書の中には明確に書かれていませんが、彼らがダニエルから大きな影響を受けたのは想像に難くありません。ダニエルは神様からの啓示であるところの旧約聖書で当時文書化されていた物を所有してそこから学んでいたことでしょうから、これはダニエルの死後もバビロンの知者達の手元に残され、彼らはそこから学んでいたと考えられます。
またダニエル書には9章24節以降に70週の預言と言われているメシア預言があります。時間の関係もありますので詳しくは触れませんが、聖書で週をという単位が出てくると7年を意味することがあり、それによると70週は490年です。25節には62週という表現があるので、これを当てはめると434年という数が出てきます。歴史的には紀元前445年にアルタクセルクセス王という人物によってエルサレム神殿の再建命令が出されました。そこから計算してバビロンの学者達はいつ頃、この預言が成就するのかおおよその見当がついていました。そして、そろそろ起こりうると考えられる時期に、まさにそのしるしとも言える星を発見し、そのユダヤ人の王の誕生を祝うためにはるばる遠い東の国から、エルサレムにまでやってきたのです。
ではなぜ、彼らがそこまでしてイスラエルの国までやってきたのでしょうか。その理由として考えられることとしては、前述のようにユダヤ人のダニエルが彼らの祖先のいのちの恩人だったことです。彼らが存在していること自体がダニエルのおかげ、ひいてはダニエルに知恵を与えたユダヤ人の神のおかげであり、そのユダヤ人の王がお生まれになったということは、それは祝福しに行かないことはありません。はるばる時間をかけて感謝の捧げものとしての宝物を贈りにやってきたということです。
また、彼らの人数に関してですが、一般的には「3人の博士」と言われていますが、聖書の記述の中にはどこにも「3人」という人数は書かれていません。3人と理解されている背景としては、彼らがイエス様にささげた贈り物が「黄金、没薬、乳香」の3つだったからとなるようですが、実際にはもっと多かったと思われます。というのも、バビロンでダニエルによっていのちを救われた知者達は随分大ぜいだったはずです。そしてその子孫や弟子となるともっと人数は多くなるでしょう。ですからはるばる、イスラエルの王として生まれた方を祝福するのに、たった3人でしか向かわなかったとは考えにくいです。それにバビロンからイスラエルまで行くのに、たった三人では途中の食事や宿泊の事などを考えると、役割分担が大変です。また、この博士たちがエルサレムに着いたときの様子については3節で「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。」とあります。3人程度の博士がやってきた程度では、エルサレム中の人が驚いたりしないでしょう。エルサレム中の人が驚き注目するほどの一行がヘロデの所にやってきたということですから、数十人か百人以上の人たちがやってきたであろうと考えられます。
【星について】
では次に彼らを導いた「星」について見てみますが、この星は私たちが夜暗いときに夜空を見上げて発見できる天体の星とはちょっと違うもののようです。マタイ2章の9、10節には「彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」とあります。この「星」はバビロンから出発した博士たちを導き彼らと共に進んでいるのです。もしも私たちが夜空に見る星がこの「星」だったとしたら、このように人を導くことはあり得ません。もしも私たちの目の前にその夜空に見られる星が降りてきたとしたら、それは地球に激突して大惨事を引き起こします。仮に不思議な神様の力によって激突しなかったとしても、その星が人を導くことは不可能でしょう。なにしろその星のサイズは一人の人間の大きさどころか、どんなに小さな星でもその星の動きによって、一件の家を指し示すように動くことは不可能だと考えられます。
また、この星は博士たちがバビロンを出発したときには目に見える形で存在していたけれど、エルサレムの近くで一旦姿を消しているのです。そして王の所で「ベツレヘム」と言われてからそちらに向かって出発したところ、もう一度光を放ち彼らを導いたということですから、天体に光る星はこのようなことはあり得ません。ですから、ここで「星」と表現されているものは「星のように光るもの」としての意味で捉えた方がよいでしょう。
【ヘロデ王の所で】
ところが、その星がエルサレム近くで一旦姿を消したようです。そして彼らは当時の王様であるヘロデ王の所に行って、「イスラエルの王として生まれたお方」についての情報を求めます。しかし、このヘロデ王は歴史的な文献によると随分残酷な支配者であったようです。自分にとって不利益になることは容赦なく排除しました。それは彼の奥さんや子ども達ですら殺されたということがあったほどです。そして当時彼が王としてユダヤを治めていたのですから、自分以外の存在としての「イスラエルの王」など受け入れることができません。博士たちのことばを聞いて「恐れ惑った」というのはその様な理由からでしょう。実際に彼はその「イスラエルの王として生まれたお方」を殺そうとしているわけです。しかし、彼自身「イスラエルの王として生まれたお方」についての心当たりはありませんでした。そこで王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただしたところ、彼らの答えが5,6節の「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」というもので、これは旧約聖書のミカ書5章2節にある内容です。東方の博士たちはミカ書は持っていなかったということでしょう。ヘロデ王の近くで仕える祭司たちによって彼らはイスラエルの王として生まれたキリスト誕生の土地を知ることができ、ベツレヘムに向かって行きました。
【ベツレヘムへ】
そうして、博士たちはベツレヘムに向かいますが、ベツレヘムに行けば即「イスラエルの王」として生まれた人物に会えるかというと、それも難しいことです。一軒一軒まわって確認するのでは、どれほどの時間が必要なのか見当もつきません。しかしそんな心配は必要ありませんでした。彼らの前に「星」が現れ、彼らが求めておられる幼子のところにまで 彼らを導いて行ったというのです。先ほども触れましたが、この事からもこの「星」が天体に浮かぶ夜空の星ではないということの根拠です。
そして彼らはその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝みました。この時彼らがいたのは家畜小屋や洞窟ではなく一軒の家です。イエス様は飼い葉桶に寝かされているわけでもなく、「みどりご」ではなく「幼子」と言われています。先ほどラブキッズで学んだ羊飼いの礼拝の時とは時間的な隔たりがあることがこの事でも分かります。この時イエス様がお生まれになって、どれくらいの時間がたっていたのかというと16節に「その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。」とあることから、おおよその時間は推測されます。東方の博士たちがヘロデ王のところに立ち寄ったとき、彼らは救い主の誕生の知らせがいつあったのかについて語っていたようです。それを根拠にヘロデ王がその人物を殺すため二歳以下の男の子を一人残らず抹殺したのですから、この時のイエス様は2歳までにはなっておらず、1年以上は経っていたと考えられます。だから「幼子」と表現されているのであって、少なくともうまれてすぐではなく羊飼いと博士たちは出会っていなかったということが分かりますのでイエス様降誕の置物には誤解があるということです。
【3つの捧げもの】
そうして博士たちがイエス様の所で礼拝したときに捧げられたものが「黄金、乳香、没薬」とありますが、キリスト教会の伝承において、この贈り物にはそれぞれ意味があるといわれています。「黄金」がもっとも高価な金属であることから「王としてのキリスト」、「乳香」がかぐわしい香りを放つもので神殿における礼拝に用いられていたことから「祭司としてのキリスト」、「没薬」が死者を葬る埋葬の時に用いられるものであったことにより「死に着くものとしてのキリスト」「救い主が十字架に架かっていのちを捨てられる」という象徴的な意味を持っていると言われています。とはいえ、東方の博士たちがそれらのことを意識していたとは考えにくく、ただ当時のバビロンの国で高価で価値あるものとされていたという程度で、単純にイスラエルの王として生まれたお方への高価な贈り物としてこれらを選んで捧げたということだと思われます。しかし、その背後には神様のご計画があり、この贈り物によって王であり祭司であられるお方が、いのちを落とすためにこの世に現れてくださったという事を表現しようとしていたと考えてもよいでしょう。
また、博士たちのこの捧げものは自主的なものであり、これによって何らかの見返りを期待するようなことはなかったはずです。彼らは既に500年以上前にダニエルを通して受けた神様からの祝福、恵みについて理解して、その感謝の応答として彼らのできる最大級の捧げものを幼子に贈ったのです。ここに「礼拝」の本質があります。礼拝とは自分がそれを通して祝福を受けるために行うのではなく、既に受けた恵みに対する感謝の応答として行うものという意味合いがあります。そしてそれには時間や労力も惜しむことなく、他の何を犠牲にしてもかまわない信仰者として模範的な姿がここに見受けられます。
【その後、エジプトへ】
そうしてイエス様が博士たちから3種類の贈り物をもらったわけですが、この時イエス様の父ヨセフが夢を見ました。それは神様からの御告げで。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」というものでした。実際にこの後、ヘロデがベツレヘムに住む二歳以下の男の子を皆殺しにしたわけで、ヨセフが夢を見てそのメッセージを信じてその通りにしたことによって、いのちが守られたことになります。
とはいえマリヤとヨセフは決して裕福ではありませんでした。殺されることなくエジプトに逃げることができたとしても、その後の生活の保証はありません。彼らがエジプトでの生活を余儀なくされたのは、ヘロデ王によっていのちが狙われていたからで、彼らが自分たちの家に帰ってくることができたのは、そのヘロデ王が死んでからです。歴史文書から考察するとイエス様の誕生は紀元前8〜6年と推測されます。そしてヘロデ王の死は紀元前4年です。仮にイエス様の誕生が紀元前7年と考えると、博士たちがベツレヘムのイエス様の所にやってきたのは紀元前5年よりは前で、その時から彼らがエジプトに逃れ、ヘロデ王が死んだ紀元前4年までの約1年間はエジプトで暮らしていたはずです。その間の彼らの生活費として宛てられたのが、このとき東方の博士たちから贈られた「黄金、乳香、没薬」だったと考えられます。これを神様の視点から考えると、神様はヘロデがこの事を通してイエス様のいのちを狙うということをご存じで、その為に一家をエジプトに逃れさせ、その間の生活に困らないように、神様の方からその備えとして博士たちに贈り物をさせたと考えることができます。私たちの生活の中にもこのような出来事があったりするのではないでしょうか。何か困難な出来事に直面したときに、それ以前から何らかの備えがあったことで事なきを得たという体験はありませんか。
ちょっとだけ証しをすると、札幌に住んでいる私の父が先週から病気で入院しまして、見舞いに行きたいと思いましたが、時間的なことや経済的なこともあって、愛知県から札幌までそんなに簡単に行ったり来たりすることも難しいです。しかしちょっと前にまとまった臨時収入があったり、豊明希望チャペルが大府と刈谷の「希望の群れ」というタイトルで教会協力をしていることで、元旦礼拝は大府の希望キリスト教会で行われることになりました。年明け3日の礼拝はジム・ニールセン宣教師にご奉仕いただくことで、今年の年末から年始にかけて父の様子を見に、そして信仰的な話しもしてくることができるようなりました。まさに一つひとつが神様の備えとして行われていたことと実感してます。
最近のこととしてはこんな感じですが、もっと以前から神様の計画は備えられていたということを、私たちは聖書から知ることができます。クリスマスで祝われるイエス・キリストの誕生こそ、私たちの祝福のために神様が備えてくださっていた、もっとも大きな偉大なる出来事です。神が人となってこの世に降りてきてくださったのがこのイエス・キリストです。そしてそのお方が、罪人である私たちの罰を身代わりに、十字架上でいのちをも捨ててくださったことで、私たちが受けるべき神様の怒りがなだめられたのです。しかもイエス・キリストの死はそれで終わるのではなく、三日目によみがえり今も生きておられるのです。
これこそ現代に生きる私たちが受けるべき神様からの祝福を、神様の方から備えてくださっていた出来事です。神様を礼拝することはそこから自分が何かの祝福をいただくことを目的とするのではなく、既に受けた恵みに対する感謝の応答としての意味があると、博士たちの礼拝から学びました。博士たちが「イスラエルの王」を礼拝した根拠はダニエルの時代にさかのぼりますが、私たちが神様を礼拝する根拠はイエス・キリストの十字架の犠牲に依ることで、その救い主イエス・キリストがこの世に生まれてきたことを記念して、今私たちはクリスマス礼拝を行っているのです。
【まとめ・クリスマス】
先週の礼拝でクリスマスはイエス・キリストの誕生を記念してお祝いされるお祭りで、バースディ・パーティだとお話ししました。そして誕生祝いだから主役は誕生日を迎える本人、イエス・キリストになります。本人不在で誕生祝いをするのは変な話しですから、私たちの目もその主役であるイエス・キリストに注がれなくてはなりません。
博士たちがそうしたように、私たちも既に受けた恵み、祝福に対する感謝の応答として、私たちの身代わりとなっていのちを捨ててくださった、神の御子イエス・キリストへの感謝の思いを込めて、また何をさしおいてでも、もっとも優先すべき事として、このお方を礼拝する者でありたいと願っております。