マタイの福音書 27章27〜32節 ローマ兵とクレネ人シモン
【序論】
マタイの福音書の学びがすすでおりますが、物語はクライマックスに近づいてきております。先週の礼拝ではイエス様のポンテオ・ピラトによる裁判を見てきましたが、そこではピラトがイエス様に罪を認めなかったにもかかわらず、自分自身の身を守るためにイエス様を死刑にすることを許可してしまったという内容でした。そのようにしてイエス様の十字架刑が決定しましたが、今日の箇所はその後のイエス様が十字架につけられる直前までの箇所から学んでまいります。
【ローマのむち打ち】
先週、27章26節までの箇所から学びましたが、その最後の部分に「そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。」とあります。この個所について前回深くは触れなかったのですが、ここでイエス様がむち打ちにされたというのです。むち打ちの刑とはユダヤ人も行っており、パウロが何度か受けているという記録がありますが、第二コリント11章24節に「ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、」と書かれています。どうして39という中途半端な数字なのかというと、申命記25章2,3節に「もし、その悪い者が、むち打ちにすべき者なら、さばきつかさは彼を伏させ、自分の前で、その罪に応じて数を数え、むち打ちにしなければならない。四十までは彼をむち打ってよいが、それ以上はいけない。それ以上多くむち打たれて、あなたの兄弟が、あなたの目の前で卑しめられないためである。」 とありますので、40まではよいことになっています。しかし40回を数えるうちに一つぐらい間違ってしまう可能性があったり、最後の40回目を打ったときにバウンドして二回打ってしまうと、この律法を犯してしまうことになるからで、39回という基準が設けられていたといわれています。そして、このむち打ちで死ぬことがないように、打ってよい体の場所は背中だけという決まりもありました。形としては、木の取っ手と短い皮のむちがついているのがユダヤのむちで、非常に痛いものでありますが、死刑の目的としてこれがなされることはありません。ですからユダヤ的むち打ちで死んだ人は一人もいません。パウロはユダヤのむち打ちを5回経験していますが、5回とも生き延びています。
しかし、イエス様の場合はローマによるむち打ちでして、実はこれよりもはるかに厳しいものであったようです。まずむちの形ですが、数本の革ひもに金属片や骨などがついた構造になっており、それで打ち付けられることで、金属片が肉に食い込み、ひどい苦痛を与えたと言われています。それで打たれると数回で皮が避け、筋肉が引き裂かれ、場合によっては骨まで見える事があったそうです。そして打つ箇所は背中だけという決まりはありません。長いむちの先についた金属片や骨が回り込んで、顔にまでキズをつける事があったそうです。それはむち打ち後の姿はその家族ですら、その人が誰なのか判別することが出来なくなることすらあったと言われています。聖画や映画でイエス様の十字架の姿を見ると、それなりに整った姿をしておりますが、ローマのむち打ちを経過したら、決してそのような姿ではなかったと言われています。それがイザヤ書53章2節で「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」3節で「人が顔をそむけるほどさげすまれ」と表現されていることと見ることが出来ます。
【ローマ兵による侮辱】
実はそこまでが先週の箇所で、ここから今日の箇所に入ってまいりますが、そのような状態でイエス様の受けた待遇が27節以降の記録です。イエス様の身柄は総督の兵士たちにあずけられていますが、28節から30節の内容は王様ごっこです。28節でイエス様が「緋色の着物」を着せられていますが、当時、ローマの貴族は紫色の着物を着ており、それは随分高価なものでした。ですらかローマ兵がそれと同じものを彼らが持っている事もありませんし、仮に持っていたとしても、そのような高価なものをごっこ遊びに使うわけには行かないので、似た色ということで「緋色の着物」が使われたということでしょう。またイザヤ書1章18節に「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」ということばがあります。イエス様がこの時に緋色の着物を着せられたというのは、真っ赤な私たちの罪をその身に負われたということを象徴していることとも見ることが出来ると思います。
また29節の「いばらの冠」ですが、パレスチナのいばらのとげは相当するどく、それが肌にあてられるとカミソリの刃で切られたようになるそうです。しかも長く硬いもので、これが頭にかぶせられたということは頭蓋骨にまで達していたであろうと言われています。直前にむち打ちで全身ぼろぼろになっていたはずですから、それに追い打ちをかけるようにしていばらの冠が頭に押し付けられたということでしょう。
そうして、29節の終わりにローマ兵は「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と言っておりますが、イエス様の事を賛美しているということでしょうか。もちろん本心からそう言っているのではないのは明らかです。ローマ兵の誰も本心でそのようには思っておらず、口先だけの「ユダヤ人の王さま。ばんざい」です。ですから、30節ではつばきされ、頭が叩かれておりますが、本当に王さまだと思っているのならこのような事はするはずがありません。
また31節ではまた緋色の着物を脱がせて元の服を着せているということですが、この時のイエス様の身体がどのような状態だったか考えると、この行為自体が相当な苦痛を与えているということが想像できます。ローマのむち打ちがその人にどれほど肉体にダメージを与えるかは先ほど触れたとおりです。その傷だらけの皮膚から服を脱がせたり着せたりしているのは、包帯を取り替えるようにして、優しくそっと行われているのではないでしょう。からだからにじみ出てきている血液でくっついてしまっている布を無理矢理に引きはがしているということでしょうから、ここでもまたイエス様は肉体に痛みがもたらされているということであります。ですからこの時のローマ兵による仕打ちによってイエスは肉体的にも精神的にも大きな苦しみが与えられているということです。
【クレネ人シモン】
しかし、ここはローマの官邸で、イエス様はこの後ゴルゴダの丘で十字架につけられる訳です。ゴルゴダの丘までの距離は数百メートルになりますが、死刑囚はその距離を自分が磔にされる木を担いで運ぶという事を行います。イエス様の場合も例外ではなく、その木を担がされるのですが、体中ぼろぼろで体力的にも力は残っていなかったようです。またこの道は若干の上り勾配になっており、途中何度も倒れたということが伝承として残っております。そのような事からローマ兵もこれでは日が暮れてしまうということでしょうか、しびれを切らして、近くにいる他の人にイエス様の十字架を担がせたというのが32節で「そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。」ということが起きているのです。
ということで、ここからこの「シモンというクレネ人」に注目して見たいと思います。「クレネ人」とありますが、クレネとはエジプトの西隣、リビアという国の湾岸都市でエルサレムからは約1200km離れています。ということは、この人は異邦人ではないかと思われますが、名前がシモンということから考えると、ユダヤ人であったというように考えるのが自然です。イエス様の弟子ペテロの本名もシモンですし、この名前はヤコブの12人の子どもたちの中に「シメオン」という人物がおりますが、これがギリシャ語に音訳されたときに「シモン」となっているものです。ですから「シモン」とはユダヤ人としては由緒正しい名前であり、彼もユダヤ人で何かの都合によってイスラエルではなく、クレネに住むようになったということで「クレネ人」と紹介されていると考えられます。
そして、彼がこのタイミングでエルサレムにいたということは、過越の祭に参加するためにはるばる遠くからやってきたということでしょう。それなのに、この神殿にはあとわずかというところで、犯罪人の十字架をかつがされてしまったわけです。そのようにしてシモンはイエス様と一緒にゴルゴダの丘に到着して、役割達成したことになりますが、彼は神殿に立ち入ることが出来なくなってしまったのです。なぜかというと彼の担いだ十字架には、イエス様のからだから流れ出た血がべったりとついていたでしょうから、十字架を担いだことによって、彼にその血がついたはずです。そうなると彼の服に血が付いたことによって「汚れたもの」と見なされてしまい、神殿に立ち入ることは出来なくなるのです。どう考えても、理不尽な出来事であるとしか言いようがないでしょう。そうなると、その後の彼の行動について考察すると、神殿での祭、礼拝には参加できなくなることで、ゴルゴダの丘でのイエス様の死刑執行について観察していたのではないかと思われます。そして、イエス様が十字架上でとられた行動や発せられたことばから、イエス様に対して他の犯罪人とは違う何かを感じていたのではないかと思うのです。
【シモンについての考察】
しかし、この後のクレネ人シモンについて、聖書ははっきりと記してはいません。とはいえ、他の聖書の箇所から考察できることがありますので、それについて触れさせていただきます。彼が十字架を背負ったことについて記している箇所、マルコ16章13節には「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」とあります。ここにわざわざシモンの子どもたちの名前が記してあるということは、このアレキサンデルとルポスは、マルコが福音書の宛先としてイメージしている人の間では既に知られている人物であったということが考えられます。マルコの福音書はローマで書かれたといわれておりますので、マルコが読者として意識していたのはローマにいるクリスチャン達であったはずです。そして、ローマの教会にどのような人たちがいたのか、ローマ人への手紙の最後16章でパウロの挨拶文の中に何人か書かれていますが、その中の13節に「主にあって選ばれた人ルポス」とあります。マルコの福音書でクレネ人シモンは「アレキサンデルとルポスとの父」と書かれてありました。ですからこの2箇所に登場している「ルポス」は同じ人物であったと推測されます。ローマの教会にルポスがいて、彼の父親が、実はイエス様が十字架に架かられたとき、その十字架を運ばれたその人であったと考えるのなら、ここで、マルコが、クレネ人シモンを紹介するとき「アレキサンデルとルポスとの父」と書いている理由が説明できるでしょう。そして、このルポスという人がローマの教会に集うようになったきっかけというのが、その父の影響であったというのが十分に考えられます。
ということで、その父「クレネ人シモン」ですが、イエス様の十字架を担いでドロロサの道を歩いているときは、どうして自分がこんな苦しい目に遭わなくてはならないのだろうと、ローマ兵に対する苛立ちとか、イエス様に対する不快感などから、怒りのような感情も持ってしまったかもしれません。しかし、そうであったとしても、彼がイエス様がどのような方であったのか理解した時、彼がイエス様のことを信じた時、それまで彼が感じていた全ての怒りや不満は解決されたばかりか、関わることのできたことに対する感謝の思いで満たされたのでなかったでしょうか。
逆に彼が十字架を担がされなかったとしたら、彼はそのまま神殿に行き、過越の祭りで礼拝を師、またクレネに帰っていっただけだっただったでしょう。しかし、イエス様の十字架を担いだことで、逆にもっと大きな祝福に与ったということができると思います。彼自身が十字架を担ぐという大きな体験をしたからこそ、イエス様の姿に注目することも出来たのでしょう。それが彼がイエス様のことを信じるきっかけとなり、彼だけではなく彼の子ども達もその祝福に与ったということだったと思われます。イエス様の身代わりに十字架を担がれた人に対して、神様が誠実に報いてくださらないわけがありません。彼が選ばれ、十字架を担いだこと、実はそれ自体が祝福であったとも理解できると思います。
【適用】
このような出来事いうのは私たちの信仰生活の中にも、形を変えて訪れているように思います。クレネ人シモンは神様に対する信仰があり、聖書の勧めに対して忠実に実践しようとされていたことでしょう。そうでなければ、過越の祭とはいえ、わざわざ1200km離れたところからはるばるやってくることはないはずです。神様を礼拝したいと願い、礼拝できるという期待を持って、この日エルサレム神殿にやってきたことでしょう。しかし、その時の彼に訪れたのは、死刑囚の十字架を担いで数百メートル歩くという、わざわいのような出来事です。しかし、かえってその事で彼は神様の栄光を目のあたりにすることができたのではなかったでしょうか。
私たちも一次的には理不尽に思えるような出来事に遭遇することがあります。それは忠実に信仰生活を歩んでいたとしてもです。いや忠実であるからこそ訪れる出来事である場合もあるように思います。クレネ人シモンがローマ兵から半ば無理矢理に十字架をかつがされたように、避けるに避けられないような状況で、苦しみを受けることが私たちにもあり得るのです。一時的には相当辛い思いをしたり、しんどい体験であるかもしれません。しかし、それを乗り越えたところには、神様からの祝福、神様の栄光が備えられているはずです。クレネ人シモンはそれを体験したのであります。
とはいえ、シモンにとって十字架の木を担ぐのが簡単なことではなかったように、私たちも試練の最中「もうだめだ」と思うようなこともあるでしょう。しかし、そんなときにはイエス様の姿を思い出すのです。イエス様はどんなに大きな痛みや苦しみを受けても、耐え忍ばれました。イエス様には絶える力があるのです。そして、私たちに訪れる苦難に対しても絶えることが出来るようにご自身の力を与えて下さるはずです。
パウロは第二コリント4章で次のように語っています。8節から10節をお読みすると「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」ここに書かれている内容の意味は、一時的な苦しみにはあうけれど、究極的には守られるということです。その理由として「イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるため」とあります。滅んでしまいそうに見える状況でありながらも、滅びることなく、守られるのは、そこに神様の力、いのちが表されることにつながるというのでしょう。イエス様は私たちが苦しんでいるとき、それをほったらかしにされるようなお方ではありません。クレネ人シモンが十字架を担いでいる間も、全身ぼろぼろになりながらも共に歩かれたお方がイエス様です。私たちが試練に遭遇している間もイエス様は共にいてくださっているのです。それが、マタイの福音書の最後、イエス様が天に上って行かれる直前に「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と約束してくださっていることでした。そして共にいて下さるイエス様は私たちの事を理解し、受けとめ、私たちが行き詰まることがないように究極的な解決を提供してくださるお方であります。
【結論】
最後に、エレミヤ書29章11節のみことばを紹介して閉じさせていただきます。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。‐‐主の御告げ‐‐それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」直節的にはこのみことばは預言者エレミヤがバビロンに補囚されたユダヤ人達への励ましとして語られたことばですが、このような原則は私たちにも適用される事と見てよいでしょう。真実な神様、愛なる神様が私たちに与えてくださるのは、その時私たちを襲っているわざわいではなく、将来と希望であります。辛く苦しいとき、共にいて下さるイエス様を認め、信仰を持って将来の希望に目を向け続ける時に、神様は私たちにそこから絶える力を与え、ご自身の栄光をあらわして下さる事でしょう。
今まさに試練の中にいらっしゃる方がいるでしょうか。そのような方は最大級の苦しみに耐えられたイエス様が共にいてくだっさっていることを覚えましょう。このお方が私たちを励まし力づけてくださいます。また、現在は特に試練を受けているわけではない方は、いつ訪れるとも限らない試みのときに備えて、将来の希望を約束してくださっている神様のみことばを心に留めてまいりましょう。そうすることで、突然訪れる試練に対しても、おどろき怪しむことなく、冷静に対応し、その出来事を乗り越えていくことが出来るはずです。