マタイ 14章1〜12節  「バプテスマのヨハネの死」

<序論:ヘロデについて>
 聖書を読み進めていく中で、登場人物の中から、違う人なのに同じ名前の人がいることに気付くかもしれません。いくつか例をあげると、イエス様の父親の名前は「ヨセフ」ですが、旧約聖書の創世記にも「ヨセフ」が登場します。これは随分時代が離れているので、まさか同じ人物であると勘違いすることはないでしょう。しかし、似たような時代に同じ名前の人が出てくると、違う人物なのに同じ人であるように思い込むことがあるかもしれません。例えば福音書には沢山の「マリヤ」が出てきます。イエス様のお母様のマリヤはともかく、ラザロやマルタの姉妹マリヤと、イエス様が復活された時に一番最初に姿を現したマグダラのマリヤは別人であります。また「ユダ」という名前も新約聖書の終わりの方に「ユダの手紙」という書簡がありますが、イエス様の弟子でイエス様を裏切った「イスカリオテのユダ」とは別人です。
 今日の箇所にも1節に「ヘロデ」、2節に「ヨハネ」という人物が登場しておりますが、新約聖書の中には複数の「ヘロデ」や「ヨハネ」という人物が登場します。ヨハネに関しては福音書を記したイエス様の弟子ヨハネと、今日登場するヨハネを区別するのに、こちらのほうを「バプテスマのヨハネ」と呼んでおりますので、別人であることがわかるでしょう。しかし「ヘロデ」についてはたまに混乱があるように思いますので、今日はまずその事について触れておきたいと思います。
 「ヘロデ」という人物が最初に登場するのはマタイの福音書2章で1節から3節に次のようにあります。「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。」ここに登場するヘロデという人物は王様で当時のイスラエル全体を治めていた人物でした。ちなみに、この人物は他のヘロデと区別する為に「ヘロデ大王」と呼ばれていますが、彼が博士たちが語ったことば「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」という表現を受けて、自分の王位が危なくなると判断し、ベツレヘムで2歳以下の男の子を皆殺しにした残酷な支配者でした。この出来事からこのヘロデ大王が相当自己中心で冷酷な人物であることがわかります。
 そして今日の箇所、マタイ14章に登場しているヘロデは「王」ではなく「国主ヘロデ」と表現されていますが、ヘロデ大王の息子にあたる人物で、聖書外の資料から確認すると、この人は「ヘロデ・アンテパス」という名前だということがわかります。この親にしてこの子ありとでも言いましょうか。このヘロデ・アンテパスがバプテスマのヨハネを殺してしまったのですが、その経緯について触れているのが今日の箇所です。そのきっかけとなったのが3節の「実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのであった。」とあるように、彼の結婚関係についての事だというのです。4節には「それは、ヨハネが彼に、『あなたが彼女をめとるのは不法です』と言い張ったからである。」とありますが、これについてもちょっと解説が必要かと思います。
 3節に登場する「ピリポ」について「兄弟」とありますが、ヘロデ・アンテパスにとっては異母兄弟です。そしてこのピリポの妻だったのがヘロデヤという女性ですが、実はこのヘロデヤはヘロデ大王の孫娘にあたります。ですからピリポとヘロデヤは叔父と姪という関係でありながら夫婦だというのです。この叔父と姪の結婚についてはモーセの律法によると、レビ記18章12、13節に「あなたの父の姉妹を犯してはならない。彼女はあなたの父の肉親である。あなたの母の姉妹を犯してはならない。彼女はあなたの母の肉親であるから。」とあり、レビ記20章19節にも「母の姉妹や父の姉妹を犯してはならない。これは、自分の肉親を犯したのである。彼らは咎を負わなければならない。」とあります。要するに彼らの結婚は旧約聖書によると近親相姦にあたり、律法違反ということになります。そしてヘロデ・アンテパスとピリポも兄弟ですので、ヘロデ・アンテパスとヘロデヤも叔父と姪という関係になり、彼らの結婚もやはり律法違反です。またレビ記20章21節には「人がもし、自分の兄弟の妻をめとるなら、それは忌まわしいことだ。彼はその兄弟をはずかしめた。彼らは子のない者となる。」ともあり、ピリポの妻であったヘロデヤとヘロデ・アンテパスが結婚するということも律法違反なのです。またそれにともなってピリポとヘロデヤが離婚しており、ヘロデ・アンテパスもそれまで夫婦関係にあったナバテヤ王国の王女とも離婚しています。正当な理由なき離婚は旧約聖書でも認められておりません。ましてやこれはヘロデ・アンテパスがヘロデヤを自分の妻とするために離婚させてたものだったので、道徳性から考えても否定せざるを得ないでしょう。

<ヘロデとヨハネの関係>
 このように、彼らの結婚については、多くの点で旧約聖書の律法の基準に触れることになるのです。これがマタイの福音書14章4節の「それは、ヨハネが彼に、『あなたが彼女をめとるのは不法です』と言い張ったからである。」とあることです。そしてそれを受けた国主ヘロデこと、ヘロデ・アンテパスはそれが気に入らないので、ヨハネを捕らえて牢に入れてしまいました。しかし、マルコの福音書6章には19、20節に次のような記述があります。「ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。」これによると、ヨハネを殺したいと思っていたのはヘロデ・アンテパスというよりも、彼の妻ヘロデヤだったということがわかります。それに対してヘロデ・アンテパスは「ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていた」とあるように、ヘロデはヨハネに対して快く思ってはいないものの、彼が語っていることについては、ある程度同意をしているようです。というよりもヨハネに対するヘロデの評価は「正しい聖なる人」とありますので、彼がまだ持っていたであろう「わずかな良心」によって、直節手を下すことを躊躇していたということでしょう。
 またマタイ14章5節に「ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。」ともあり、これは彼が人からの評価を気にしていたということです。彼がヨハネを殺してしまうことで、群衆の彼に対する評価に影響するということを恐れていたということです。ちなみに彼が人目を気にしているということは、この後の出来事に関する記述からも見ることができます。

<ヘロデの誕生日・ヨハネの死>
 そのような背景の中、起きた出来事が6節以降で「たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。」とあります。そしてこの個所について、マルコの福音書6章21節には「ところが、良い機会が訪れた。ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けた…」とあるように、ヘロデの誕生祝いでは、当時の地域の有力者が席を連ねていたようです。その宴会の中でヘロデヤの娘が踊りを踊り、列席者を楽しませたことで、ヘロデも嬉しい気持ちになったのでしょう。この時、彼がヘロデヤの娘に約束したのが7節で「それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。」とあります。この後のやりとりについては、平行箇所のマルコ6章の方が詳細に触れておりますので、そちらの方に目を移していきたいと思います。
 23節から25節をお読みすると「また、『おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう』と言って、誓った。そこで少女は出て行って、『何を願いましょうか』とその母親に言った。すると母親は、「バプテスマのヨハネの首」と言った。そこで少女はすぐに、大急ぎで王の前に行き、こう言って頼んだ。『今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます。』」ということです。しかしこれを願ったのは踊りを踊った本人ではなく、彼女の母親ヘロデヤでありました。彼女は以前からバプテスマのヨハネをどうにかしてやりたいと考えていたところ、絶好のチャンスがやってきたのです。バプテスマのヨハネの保護をしていたのはヘロデ・アンテパスでした。その彼が自分の娘に対して「願うもの何でも必ず上げると、誓って固い約束をした」のであります。その誓いは列席の人々皆聞いていました。マルコの福音書のこの続き26節に「王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった。」とあるとおりです。
 人目を気にしてバプテスマのヨハネを殺すことをしなかったヘロデが、こちらでは人目を気にすることでヨハネの首を落とすことを決定しているのです。人一人のいのちよりも自分の評価、体裁の方が優先されているのが、このヘロデ・アンテパスの価値観、ものの考え方だったということです。そのようにしてバプテスマのヨハネはヘロデの護衛兵により首がはねられてしまいました。あまりにも悲惨、残酷な死を遂げてしまったバプテスマのヨハネだったということが言えるでしょう。

<ヘロデの勘違い>
 さて、ここでマタイの福音書14章、本日の聖書箇所に戻りますが1、2節に「そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、侍従たちに言った。『あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。』」とあります。ヘロデ・アンテパスは自分の誕生日にバプテスマのヨハネを殺してしまいましたが、それからどの程度の時が過ぎた頃か、彼はイエス様についての噂を耳にしたようです。すると彼はイエス様の事を「バプテスマのヨハネのよみがえり」だといっています。もちろんこれは誤解で、イエス様はバプテスマのヨハネのよみがえりではありません。ただ彼がこのような勘違いをしたのは、彼の耳に入ったイエス様に関する噂が、彼の知っているバプテスマのヨハネの姿と重なっていたのでしょう。ヘロデ・アンテパスはバプテスマのヨハネについて「正しい聖なる人と知って、彼を恐れ」ていたとありますので、イエス様についても「聖なる正しい人」と評価したと捉えることができます。ですから彼がイエス様の事を「バプテスマのヨハネのよみがえり」と言ったのは誤解でしたが、その評価をするに至った経緯については「当たらずとも遠からじ」だったと言えるのではないでしょうか。少なくとも当時の律法学者、パリサイ人達によるイエス様の評価「悪霊のかしらベルゼブルの力によって悪霊を追い出している」という事よりはずっとまともなものだと言えるでしょう。
 しかし、彼がイエス様の事を積極的に評価しているからと言って、それで彼が正しいわけではありません。今日の箇所からも随分多くの点で問題点を見ることができます。まず彼はバプテスマのヨハネが正しい聖なる人であることを認めながら、その忠告に従うことをしませんでした。彼の語る神様に関する教えに関心はあったのでしょう。しかしそれを自分の生活に当てはめ、正しい方向へと進み出すことをしなかったのです。
 それどころか、ヘロデヤの娘が願ったことに対して彼は心を痛めながらも、軽々しく誓ってしまったことばにより、そこに集っている他の人たちの手前、彼女の願いを退けることをしませんでした。本当に正しいことよりも自分のメンツを優先し、人目を気にして自分でも「よくない」と思っている事ですら実践してしまったのです。本日見てきた聖書箇所の記述を見る限り、彼には明確な悪意は無かったようにも思えます。マルコ6章19、20節の「ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。」を見る限り、ヨハネを殺したいと願っていたのもヘロデではなく、妻のヘロデヤでありました。ヘロデの態度は最初はどっちつかずだったようにも捉えることができるでしょう。しかし彼の優柔不断な態度とでも言いましょうか、そのような弱さが決定的な悪を実践してしまっているのです。

<ヨハネの正しさ>
 そのような事で、殺されてしまったバプテスマのヨハネについて考えてみると、何とも無念であったことでしょう。彼は神様の召しに従い、みことばに忠実に歩んできました。彼の正しさについてはマタイ11章11節でイエス様が「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」と言われているように、最も優れた人物であるという評価を彼に対して行っているのです。すぐれた信仰を持っているからといって、わざわいにあわないということではありません。このバプテスマのヨハネのことを見ても、またイエス様の生涯から見ても、彼らの信仰面においては何も問題はなかったはずです。しかし彼らの生涯は実に悲惨なものであったと言えるでしょう。しかし、逆に信仰深い人こそわざわいのような出来事に遭遇するというのが聖書が語っている真理です。本日の中心聖句はテモテへの手紙第二の3章12節とさせていただきました。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。 」とあるように、イエス様を信じしたがっていく人はみな迫害にあうというのです。逆にいうなら迫害を受けているということは、その人がイエス様にあって敬虔に生きようとしている証であるとも言えるでしょう。

<結論・適用>
 というのが、今日の聖書箇所から確認される内容でありますが、これらのことから、私たちに対してもいくつかのことが適用として考えられることがあります。
 ヘロデ・アンテパスの姿からは多くの問題点を見ることができるでしょう。彼は結婚関係の中で律法違反を犯しておりましたが、それをバプテスマのヨハネに指摘されたことで、悔い改めるどころか、逆に彼を捕らえて牢に入れてしまったのです。自分に都合の良いことを言ってくれる人だけを身近に集め、自分の間違いや問題を指摘してくる人を排除してしまう態度は、その人を成長させることはないでしょう。もしかしたらバプテスマのヨハネはヘロデ・アンテパスに悔い改めを促すために神様が使わされた人物だったのかも知れないのです。少なくともヨハネが語っていたのは神様のみことば、聖書に基づいた真理であったはずですので、それを拒んでしまったのはやはり神様を拒んだという事と同じです。このようにして彼は悔い改めるチャンスを自ら閉ざしてしまったのであります。
 私たちはヘロデのように拒んでしまうのではなく、神様のことば聖書の真理に基づく判断基準に従い、そこに従い留まることで、神様との正しい関係に立ち続ける者でありたいと願います。その中で悔い改めるべき事が示された時には、素直にそれを認め速やかに神様に立ち返るというのが、神様を恐れるものの本来の姿であります。
 ただ、ヘロデのこの問題点の中にも一筋の光があるとすれば、彼がバプテスマのヨハネを「正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていた」ということが言えます。恐らく彼から指摘されていた結婚関係の問題についても、ヨハネの指摘の正しさは認めざるを得なかったということでしょう。しかし彼の指摘によって当惑しつつも彼に手を下さなかったというのは、ヨハネの正しさを認めたから殺さなかったのではなく、群衆がヨハネのことを預言者と認めていたからとあるように、人目を気にしてのことでした。そしてその後ヘロデヤの娘からヨハネの首を求められた時にも、誕生祝いの席にやってきていた人々の手前、自分の誓いを反故にすることを恐れて、良くないことだと知りながらもヨハネを殺してしまったということです。彼にとって物事の判断基準となっていたのは人からどのように見られるかということであったようです。
 絶対的な基準であるところの神様の啓示による聖書よりも、相対的な人からの評価が優先されたヘロデ・アンテパスでした。人を恐れると神を恐れなくなり、逆に神を恐れると人を恐れることが無くなるものです。本当に恐れるべきは神であり、人からどのように思われようと、どのような評価が下されようと、神様の前にどうなのかということが本来の基準であるはずです。残念ながらヘロデ・アンテパスにはそのような視点がなかったということでしょう。
 それに対してバプテスマのヨハネは相手が支配階級に属する立場のある人であっても、神様のみことばに基づく真理を決して曲げることなく、大胆にその宣言をしております。そして恐らく彼はその発言が自分の身に招くわざわいについても、ある程度想像はついていたことでしょう。しかしそれであっても、人を恐れず、神を恐れることでとった行動だったと言えるのではないでしょうか。本日の中心聖句、第二テモテ3章12節「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。 」と言われていることを心に覚え、迫害をも恐れることなく、イエス・キリストに対する信仰による、神様との正しい関係に留まり続けるお互いでありたいと心から願っております。