マタイ 13章54〜58節  「不信仰による影響」

<序論:先週>
 礼拝の中でマタイの福音書を読み進める形で聖書宣教を行っておりますが、しばらくその舞台はカペナウムという町での出来事でした。今日はナザレというイエス様が生まれ育った場所での出来事になっております。このイエス様がご自分の出身地ナザレに戻ってこられたきっかけのヒントが先月学んだ箇所、マタイの福音書12章の終わりにある記録から想像できます。そこはイエス様が群衆に話しておられたところに、イエス様の母と兄弟たちがやってきたということですが、マタイ12章46節に「イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。」とあります。マタイ12章はカペナウムでの出来事で、イエス様の家族はナザレに住んでいました。カペナウムとナザレはおよそ30km。ここ豊明からだと犬山とか一宮あたりの距離になりますので、当時徒歩での移動が一般的であったことから考えると、なんらかの目的があってイエス様のご家族ははるばるカペナウムにまでやってきたと考えられます。この理由について、この箇所の平行記事、マルコの福音書で3章21節に「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。『気が狂ったのだ』と言う人たちがいたからである。」とありました。これまでイエス様はご自分が旧約聖書の預言しているメシアであることを証しするような奇跡の業を行ってきました。しかしそれに対して当時の宗教指導者、律法学者のパリサイ人と呼ばれる人たちは、イエス様がメシアであることを認めず、イエス様の行ってきた奇跡の業は「悪霊のかしらの力で悪霊どもを追い出している」と結論づけてしまいました。そのような噂がカペナウムからナザレにまで伝えられてきたことで、イエス様の家族はとりあえず一旦実家に戻して様子を見ようということになったのだと思われます。ですからイエス様にしてみれば、積極的に家に戻ったというよりも、連れ帰らされてしまったという事になるのかもしれません。
 そして今日の箇所はそのイエス様がご自分の出身地ナザレに戻られて何をしたのか、また何ができなかったのか、そしてそれはどうしてなのかということについて聖書の記録から学びつつ、そこから私たちに対して適用される事がどのようなものなのかということをいっしょに考えていきたいと思っております。ちなみにこの出来事はマルコの福音書6章1節から6節にも平行記事として記されていますので、随時こちらの方の記録も照らしあわせながら確認してまいります。

<イエス様のしたこと>
 まず、マタイの福音書13章54節の前半には「それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。」とあります。イエス様が行ってきたことは、それ以前も「神の国」についてのメッセージでした。またそれと共に、悪霊につかれていた人からその霊を追い出したり、病気で病んでいる人にはその病気をいやされたりもしました。イエス様はこのナザレでも何名かの病人をいやされた事がマルコの福音書の6章5節の「それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。」という表現から見ることができます。

<人々の反応>
 しかしそのようなイエス様の行動に対して、ナザレの人々の反応は決して良いものではなかったのです。彼らのイエス様に対する見方はマタイ13章54節後半から56節までで次のように書かれています。「すると、彼らは驚いて言った。『この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。』」ということでした。まず驚いているわけですが、これは「強い驚き、仰天、驚愕」を表現しているもので「おやおや?」という程度のものではなく「なんだっ!これは?」というような、相当大きな驚きであり、それは彼らの知っているイエスという人物には、そのような知恵や不思議な力は持っているはずがないという理解からくる驚きだったようです。
 では彼らはイエス様をどのような人だと見ていたのかというと、まず職業としてマタイ13章55節に「大工の息子」とあります。マルコ6章3節には直節的に「この人は大工ではありませんか」といわれています。イエス様の父ヨセフは実際にナザレの町で大工をしていたとあります。そしてイエス様もその父の仕事の後を継いで、ナザレの町では大工としてお仕事をしていたのでしょう。そしてナザレの人たちはそのようなイエス様のことは知っていても会堂で人々を教えるような人物とは見ていなかったのです。そしてこの箇所に何度か「この人」という表現がされていますが、日本語で表現するなら「こいつ」とか「あいつ」という軽蔑を込めた言い方で、そこには尊敬や敬意はみじんも含まれていません。実際に57節の前半には「こうして、彼らはイエスにつまずいた。」とあるように、やはり彼らもユダヤ人の宗教指導者、パリサイ人達同様イエス様のことをメシアとして受け入れることはなかったということです。

<イエス様の応答>
 このようなナザレの人たちの反応に対して、57節の後半に「しかし、イエスは彼らに言われた。『預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。』」とあります。しかしこれはイエス様がナザレの人々に対して、ご自分が預言者であるといっているわけでは無いようです。というのも、このイエス様のセリフは当時の格言だと言われています。預言者とは神様からのことばを受けてそれを民達に語るという人のことですが、神様からのことばが授かっていない状態では普通の人と特に大きな変わりはないでしょう。しかし、その人物が神様からの預言のことばを受けたことで、その人は特別な働きに用いられるようになったのです。ですから、その預言者が神様からの預言を受けていない段階のことを知っている彼の出身地、家族にしてみれば、普通の人としての彼の様子しか知らない訳なので、彼の特殊性について受け入れがたい、尊敬されることもないというのが、ここで言われていることの意味になるでしょう。
 実際にイエス様が特別な働きを開始したのは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けて「天の御国は近づいた」との宣教を開始した時からなので、ご自分が幼少期に過ごされたナザレの人たちからは、そのような姿は見られていませんでした。ですからイエス様もご自分の郷里、ナザレの人たちからは尊敬され、受け入れられなかったということです。
<結論>
 そして58節には「そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。」とあります。これはイエス様がなにか奇跡を行いたかったのに、人々が不信仰だったが故に、その超自然的な力を発揮することができなかったということでしょうか。だとしたらイエス様が「困った、あの人をいやしてあげたいのに、ナザレの人たちが自分の事を信じてくれないから、いやしてあげる力が出ない…」と思っていたということになってしまいますが、そんなことはないでしょう。
 人々の信仰と、神様の奇跡の関係としては次のような表現が適切だと思います。それは「人々の信仰の度合いに応じて、神様はみわざをなされる」ということです。神様は全能なお方ですから、どのような状況であっても、何でもできるお方です。できるかできないかというとできるのですが、するかしないかということであれば、そのどちらをも自由に選ぶことができるのが、神様のもっておられる「主権」ということです。ですからこの個所においてはイエス様はできなかったのではなく、しなかったということであります。
 ちなみにこの個所、平行記事のマルコの福音書6章6節には「イエスは彼らの不信仰に驚かれた。…」と記録されています。冒頭でナザレの人々がイエス様の知恵や不思議な力に驚かれていましたが、その後では逆にイエス様がナザレの人々の態度に驚いているというのです。信じて当然の状況であったのにもかかわらず、ナザレの人々はイエス様によって現されていた神様の力を信じませんでした。それを妨げていたのは、ナザレの人々のイエス様に対する先入観と自分たちの持っている常識ということでしょう。そのような視点でしかイエス様のことやイエス様の知恵、行いなどを見ることができなかったことで、イエス様のことを正しく受けとめることができなかったということです。

 ところで、イエス様がナザレに来られた目的についてですが、家族に連れてこられたという理由もありつつ、その背後には神様の主権による導きがあったと考えられます。そしてそれは「ナザレの人々への神様の祝福」というのが目的であったことでしょう。しかし残念ながら彼らはその祝福にあずかることができなかったのです。それがイエス様に対する不信仰によってもたらされた影響でした。この時ナザレの人たちがイエス様のことを歓迎して受け入れ、この方こそ聖書が預言していたメシアであるということを、信じることができていたとしたらどうなっていたでしょうか。イスラエルの民族的な枠からいうと彼らに対するさばきはくつがえすことができない段階に入ってしまいました。しかしイエス様の弟子たちがそうであったように、個人的にイエス様のことを信じ受け入れた人は、神様がその人自身にもたらされる祝福にはあずかるのです。その区別がされるのは何なのかというと、イエス様をどのように評価するかということにかかってくるのです。
 先週も触れたことですが、キリスト教の異端といわれているエホバの証人、モルモン教、統一教会は聖書を聖典としてはいながらも、どれもイエス様のことを神とは認めていません。それが彼らのことと「異端」と呼ばざるを得ない最も大きな問題であり、イエス・キリストに対する理解が私たちキリスト教会とは一線を画しています。イエス・キリストを神として認めているかどうかというのが、正統的なキリスト教か、そうでないかの分水嶺という事になるでしょう。

<中心聖句>
 本日の中心聖句はコリント人への手紙第二の5章16節とさせていただきました。「ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」ということですが、これは使徒パウロがコリント教会宛に書かれたものですが、このみことばによると、彼は以前は人間的な標準でイエスという人物を見ていたというのです。それは「この世の価値観」といって良いでしょう。しかし、パウロはもうそのような見方はしない、そのような判断基準は間違っていたということをここで宣言しているのです。ではパウロはどのような視点が正しいのかというと、この個所のもうちょっと前、7節に次のように書かれていました。「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」目で見て判断するのではなく、信仰に基づいて判断しているというのです。
 ナザレの人々はイエス様に対する信仰がありませんでした。先入観が正しい判断を妨げてしまっていたのです。人間的な標準でイエス様を見ていたナザレの人たちの過ちだったという事ができるでしょう。そしてそのような不信仰がイエス様のみわざをとどめてしまいました。本来自分たちのためにイエス様が成してくださるはずのことがあったにもかかわらず、その祝福にあずかる事ができなくなってしまったのです。不信仰によってです。

<適用>
 そしてこのようなことから、私たちに対してもいくつかのことが適用として考えることができるでしょう。
 それはまず「先入観が正しい判断を妨げることがある」ということです。ナザレの人たちは幼少期のイエス様、大工としてのイエス様の姿しか知りませんでした。それによって「イエスという人はこのような者だ」と固定観念ができてしまい、それがわざわいしてメシアとしてのイエス様を認めることができなかったのであります。私たちも、あの人、この人、あの事、この事に対する評価について、その人や物事に対する先入観があった場合、正しくその事を受けとめることができない場合があるのです。先入観を捨て去るというのは難しいことですが、そのような影響が自分自身にはあるのだということを認めることができれば、もしかしたら自分は間違っているかも知れないという思考が働いて軌道修正をすることができます。
 そしてナザレの人たちが不信仰だったが故に、イエス様がみわざをなされなかったということですが、これについても私たちも不信仰であった場合、それと同じような影響を自分自身にもたらしてしまうということが言えるのではないでしょうか。しるしを見ることができたら信じるというのは当時のユダヤ人に姿でした。それに対して、私たちにはすでにしるしは与えられているのです。イエス・キリストの十字架の死とその復活が聖書に記されているというのがしるしです。そしてその事を信じることができなければ、それにともなう神様からの祝福も閉ざされてしまうということが起こりうるのでしょう。実際にナザレの人たちがそうだったのです。彼らの不信仰故に、イエス様はそこで神の力によって人々に祝福をもたらせることをされなかったのです。私たちのところにも神様の大いなる力が現され、私たちが神様の祝福にあずかる事で、主の栄光が表されるように、まっすぐ神様イエス様を信じ続けるところに留まる私たちでありたいと願っております。