ルカ 2章1〜20節      イエス誕生

【序論:クリスマス】
 今月に入ってから「アドベント」ということで、イエス・キリストの降誕を記念するクリスマスのお祝いを待ち望む期間を過ごしておりましたが、お待たせしました。本日が「クリスマス礼拝」であります。クリスマスの本番は12月25日で、前日の24日がクリスマスイブとなっており、その直前の日曜日をクリスマス礼拝としております。ちなみに、今年は豊明希望チャペルでは、これらの日に特別プログラムは予定しておりませんので、それぞれがご家族で救い主の誕生をお祝いしていただけばと思っております。
 ちなみにこの12月25日のクリスマスについて、一般的にはイエス・キリストが生まれた日というように理解されています。しかし、実際のところ何月何日がイエス・キリストの誕生日なのかということについては、分かっておりません。というのも、それは聖書には日付についての記録がないからです。クリスマスが12月25日になったというのは、紀元325年に開かれた教会会議で、この日にお祝いをすることが決められたということによります。ですから、日付についてははっきりしたことは言えないのですが、年代についてはおおよそのことをいうことができます。

【いつ生まれたのか】
 今日の聖書箇所、ルカの福音書1章の1,2節につぎのようにあります。「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。」ということです。ヒントとなるのが「クレニオがシリヤの総督であったとき」ということですが、歴史的文献によるとクレニオは紀元前10年から7年までシリヤの軍事担当総督でありました。そして、この時に行われた住民登録としては紀元前8年に布告されたという記録があります。これが人々に知らされて具体的にその住民登録をするためには、ある程度の時間は経過していたことでしょう。マタイの福音書の記録ではヘロデ大王が登場しており、彼がエルサレムに住んでいたのは紀元前5年までです。彼のところに東方の博士たちがやってきて、ベツレヘムの2歳以下の赤ちゃんを皆殺しにされたという記録から考えると、イエス様が生まれたのは紀元前8〜6年の間だったと推測されます。しかし、重要なのはいつ生まれたのかというよりも、この時に何があったのかということですので、今日はそのような視点で聖書の記述を見てまいりましょう。

【旅行〜出産】
 ということで、さきほどのような住民登録の勅令が出されて、ヨセフは当時彼が住んでいたナザレの町からベツレヘムに向かいました(4節)。ベツレヘムはエルサレムの南約8キロのところにある小さな町で、当時彼らが住んでいたのは「ナザレ」からは直線距離でも100km以上あるのです。道中、歩き通しでも3日はかかった計算になります。しかもこのとき、すでにマリヤはお腹の赤ちゃんが臨月を迎え、何時生まれてもおかしくないような状態でした。そして、実際にマリヤはその移動中に出産してしまったというのが、6節と7節前半の「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。」ということです。それだけでも大変なのに、7節の続きを見ると「それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」とあるように、ちゃんとした場所で出産できたわけではなかったということがわかります。
 よくキリスト教会で「聖夜劇」というものが行われます。そして、その内容は多くの場合次のようなものでしょう。ヨセフとマリヤがいくつかの宿屋を回るけれど、どこもいっぱいで泊まることができず、最後に行った宿屋の主人が気を利かせてというか「家畜小屋なら…」と言って、彼らを宿屋の裏あたりにある家畜小屋に連れて行き、そこで一泊の宿を提供します。そして、その場所でマリヤが男の子を産みました。
 また、私たち日本人にとって「家畜小屋」というと木造の文字通り「小屋」のような環境をイメージすると思います。しかし、聖書をよく見ると、どこにも「家畜小屋で生まれた」とは書いていないのです。しかし「イエス様が家畜小屋で生まれた」と思われているのは「飼葉おけに寝かせた」という表現からでしょう。飼葉おけとは家畜にえさを与えるための器のことですから「飼葉おけのあるところなら家畜小屋」と理解されてきたと考えられます。しかし、当時のイスラエルの文化から考えると「飼葉おけ」が置かれていたのは小屋ではなかったようです。もちろん家畜を飼っている場所ですが、洞窟のようなところが一般的だったといわれています。そしてベツレヘムにはいくつかの洞窟群があったそうで、それらが家畜小屋として使われたり、あるものは墓地というか遺体の安置所として使われたりしていたというのです。ですから洞窟には家畜に餌を与えるために飼い葉桶があり、死体を巻くための布も置かれておりました。マリヤは今まさに赤ちゃんが生まれそうな段階になっており、出産には生まれてきた赤ちゃんをくるむための布と、赤ちゃんを寝かせるためのベッドが必要になってきます。しかし、何らかの事情で宿屋には泊まることができなかったというのでう。ですから布とベッドを確保するためにやむを得ず洞窟に入って、救い主の出産を行ったと考えられます。
 そうであるなら、そのようにして生まれた赤ちゃんをくるんだ布はどのようなものだったかというと、本来なら死体が巻かれるために、洞窟に置かれていたものだったことでしょう。生まれたばかりの赤ちゃんを、死体をくるむための布に巻きたくはなかったでしょうが、それしかなかったのならしかたがありません。とはいえ「布にくるんで、飼葉おけに寝かせた」という事は、彼らがそうしたというだけではなく、その背後に全能なる神様の御手が延べられていて、そうなることが神様の計画だったと言えるのではないでしょうか。神様の方が、このイエス様が生まれてきたときには死体をくるむための布に巻き、家畜が餌を食べるための飼葉おけに置かれるように導かれたというように考えられるはずです。

【羊飼い達】
 では、どうして神様がそのように導かれたのかというと、その目的の一つとして、今日の聖書箇所の後半の記録が関係してきます。8節以降に「羊飼いたち」が登場しますが、彼らがイエス様を礼拝した最初の人たちでした。彼らが野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていたところ、神様の使い、天使が現れて彼らに次のように語りました。それが10節から12節ですが「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」ということです。「恐れることはない」というのは、羊飼い達が突然の光とともに天使の姿を見たものだから驚き、恐れていたのでしょう。しかし御使いが彼らに届けたのは「喜びの知らせ」ですから「恐れる」のではなく「喜ぶ」のがふさわしいはずです。なにしろ「あなたがたのために、救い主がお生まれに」なったというのですから。そして、その救い主は「布にくるまって飼葉おけにねておられるみどりご」だというのです。しかも、それが「しるし」だということですが「しるし」とは通常ありえない、何か特別な事を示している表現で、それを手がかりとして羊飼い達がそのみどりごを見つけることができる事でしょう。特にキーワードになるのは「飼葉おけ」でしょう。彼らは羊飼いで、まさに家畜を飼って生活をしておりました。そして彼らは飼い葉おけが置かれているのが洞窟で、ベツレヘムのどこに洞窟があったのか、ある程度の見当はついたはずです。なぜなら、それは彼ら自身が動物を保管したり、天候が悪かったときに羊たちをかくまうために使っていたと考えられるからです。ですから「布にくるまって飼葉おけにねておられるみどりご」だということが、彼らにとっての「しるし」として、その職業的経験を通して、救い主をすぐに見つけることができるようにしてくださったということでしょう。
 ですから、彼らはこのとき「どうやったらその布にくるまって飼葉おけにねておられるみどりごを見つけられるだろうか?」と思い悩んではおりません。この時の羊飼い達の反応は15節で「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」ということでした。それは彼らがこの段階で、ある程度の見当がついたからだったでしょう。実際に16節には「そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。」とあるように、ほどなく目的の場所にたどり着いたということです。すると、まさに御使いが彼らに語ったとおりのみどりごがいたのです。通常ならあり得ない赤ちゃんの出産後の様子でしょう。しかし、当たり前の出産がされていたとしたら、この羊飼い達はこの救い主に対面するのは相当難しかったはずです。ですから、神様はこの羊飼い達をイエス様の誕生に対面させることをも目的として、マリヤの出産をこのような環境に置かれたと考えることができます。
 羊という動物は当時、神殿での捧げ物として使われていました。しかし、この頃その羊を飼育する羊飼いの社会的立場は随分低いものだったようです。それは律法の学びが重要視されていたこの時代、正式な学びを受けられていない羊飼い達は宗教指導者達から軽んじられ、退けられるようになってきたというのです。そればかりか、一般群衆からも厳しい態度がとられるようなったということもありました。その背景として言われているのは、イスラエルが外国との戦争を繰り返したことで、土地を失う農夫が出るようになったということです。そして、荒廃した土地を再生するために苦労を重ねる農夫も沢山おりました。しかしそれらの作業は、侵入してくる羊や山羊の影響でなかなか思うようには進まなかったというのです。それが羊飼い達に対する反発心につながり、土地を使って農業を行っていた人たちからも厄介者扱いされるようになってしまいました。ですからこの時代の羊飼いは人々から見下され、のけ者にされていた職業だったのです。また彼らは公の裁判の席で証言することすら認められていなかったとも言われています。
 しかし、人々からそのような扱いを受けていても、彼らは自分たちのするべき働きは忠実に行い、羊を愛し世話をして、神殿における神様への捧げ物として用いられるべく羊を飼っていたのでしょう。そして、神様はそのような羊飼い達をないがしろにはされることなく、救い主イエス様が生まれたときに、彼らを選び、最初に救い主にお目にかかって礼拝を捧げることができるようにしてくださったということでしょう。そして17節に「それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。」とあるように、羊飼い達は自分たちがどうしてやってきたのか、マリヤとヨセフに自分たちが体験した天使による御告げを伝えたということです。

【人々の反応】
 そして今日の箇所、最後にはこの出来事に遭遇した人々の反応が記されています。18節には「それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。」とあります。洞窟で赤ちゃんが生まれてくるなんて、その場にいた人たち以外には知られることはなかったでしょう。しかし、このとき羊飼い達が訪れていることだけでも驚きでしょうが、そればかりか、それは天地達が現れて教えてくれたというのですから、もっと驚きです。しかし、マリヤはただ単に「驚いた」というだけではなく、19節に「しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」というのです。
 このルカの福音書はルカによって記されたものですが、この福音書の記者が直接イエス様の誕生の場面に立ち会ったのではなく、誰かから聞いた情報を元に記していることであります。ですから、この生まれた幼子を飼い葉おけに寝かせたことや、羊飼い達が天使からの御告げを聞いてやってきたということは、マリヤの証言に基づく記録であったことでしょう。このときマリヤが「これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らせていた」ことで、現代の私たちが救い主の誕生の場面がどのようなものであったのかと言うことを知ることができるのです。確かに彼女にとっては忘れられない体験であったことでしょうが、それといっしょに多くの不思議な出来事がともなうことで、その意味深さなどが強調され、それが後に神のことばとしてルカが福音書に記して世界中でこの事が知られるようになったということです。そこにも神様の計画があったとも言うことができるのではないでしょうか。
 そして、20節では再び羊飼い達の姿として「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」と記されています。野原で突然の天使達の訪れを体験した彼らは驚き恐れましたが、その時の御告げがそのとおり起きている現実を体験したことで自分たちに与えられた特権を理解し、神をあがめ、この方への感謝を持って御名をほめたたえて家路についたのであります。

【考察・結論】
 というのが、救い主の誕生の時の様子について聖書が記してくれている内容でした。そしてこれらの事実は私たちにイエス様の生涯における、いくつかの象徴的なことを表していると考えられます。最後にその事を考察して今日の聖書宣教の結論とさせていただきます。
 イエス様はこの時この地上にお生まれになりましたが、宿屋には彼らがいることができなかったとあります。そして、イエス様はその生涯においても、本来自分自身がおられるはずのユダヤ人社会には受け入れられませんでした。そして、死体を包むはずの布にくるまれたのは、イエス様の誕生自体が実は死ぬことを目的として生まれたという十字架の犠牲を象徴しているものだと見ることができます。そして、家畜の餌が置かれるような飼い葉桶に寝かされたのは、人間扱いもされていないということで、それは神の子、神様ご自身であるところのイエス様が、人間どころか人間以下の取り扱いを受けているという最も大きな謙遜、謙りを実践されたということであります。このイエス様の誕生は、これから後のイエス様の生涯を象徴的に表す、ある面悲惨な誕生物語とも言うことができるでしょう。
 そして、人々の救い主であるお方が、このような悲惨とも言える状況で生まれたのは、この世でどんなに低く貧しい境遇に生まれた人にとっても、イエス様はその人の気持ちを分かってくれるという意味が込められていると受けとめられます。この天と地を作られた唯一真の神様が、人としてこの世にお下りになったのが神の子イエス・キリストです。人間の寝るベッドにお乗せすることですら恐れ多いように思われるけれど、それ以下の環境に身を置かれたました。ヨセフとマリヤはやむを得ずそのようにしたのかもしれませんが、神様の視点から見ればそうではありません。自らの意志を持って、全き謙りを表されたというのが、このイエス様の誕生の記録から、私たちが見て取ることができる内容なのです。
 また、最初にイエス様を礼拝したのは野原の羊飼い達でした。当時の社会では見下され、公の裁判の席では証人として認められることもなかったという羊飼いです。要するに語ること自体の信憑性も疑われていたという羊飼いに天使が現れたのは、二通りの意味が込められているように思います。まず、もしも作り話であったとしたら「羊飼いに現れた」とはしないはずです。なぜなら、それで信頼されなくなるからです。しかし、実際に天使が現れたのが羊飼いにだったので、そのように記録せざるを得ません。そのような事からこの出来事が作り話ではなかった、真実の出来事であったという可能性が高められるのです。
 また、当時の社会で見下されていた羊飼いに天使が現れて、最初にイエス様を礼拝に来させたということは、神様は社会的にさげすまれている人たちをないがしろにされることなく、特別に目を留められるということでしょう。人からの評価と神様からの評価は違います。人々から認められているからと言って、神様もその人のことを評価しているのかというと必ずしもそうとは言えません。人はうわべで判断しますが、神様は心をご覧になります。私たちは人の心まではわかりませんので、神様がされるようには判断ができないのです。ですから、まずはこれを私たちに適用するなら、人からどのように見られるかということはそれほど重要ではないということです。そうではなく神様に認められ、神様から適切な評価がされるのであれば、その人の人生は祝福に満ちたものとなるのです。
 また、これを他者との関係において適用するなら、私たちも先走って誰かのことを評価することのないようにしたいと思います。私たちが「あの人はだめだ」という評価をしても、神様はそのようにはご覧になっていないかもしれません。かえって、そのような人の方が神様から積極的な評価を受けて、神様からの祝福を受けるということも起こりうるのです。
 神様の視点は、私たち人間の視点とは異なっています。今日のイエス様の降誕の記述から見るなら、人間の価値観とは真逆の状態を神様が選ばれているのです。イエス・キリストの降誕、クリスマスはその事を私たちに伝えてくれています。そして、それこそ人々からのけ者にされさげすまれている人たちへの救いの為に神様のもたらして下さったものです。本日の中心聖句は、ルカの福音書2章11節の天使が羊飼い達に語られたことば「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」とさせていただきましたが、この「あなたがたのために」とあるのは羊飼い達だけを指しているのではなく、私たちも含まれているはずです。今から二千年前、ベツレヘムで生まれた救い主キリストは私たちの為に生まれて下さったお方です。しかも、その誕生は神の子としては全くふさわしくない、死体をくるむ布にまかれ、飼い葉おけに寝かされるというスタートでした。しかし、それは神様自らそのようにしてくださったのです。それが意味しているのは、このお方がどんなに低く貧しい境遇に置かれている人をも受け入れることができるお方であることを表しています。それが当時見下されていた羊飼い達に誕生の知らせがなされたという事からもわかります。
 私たちがどんなに人から苦しみを受け、辛い、悲しい環境にあったとしても、イエス様はその事を理解し受けとめてくださることできるお方です。なぜならもっと悲惨な体験をご自身がされたからです。そしてその為にイエス様が人間の姿をとってこの世に降りてきてくださったのです。それが今から二千年前に歴史的な事実として神様が成してくださった、すばらしい喜びの知らせです。世界中でクリスマス、イエス・キリストの降誕を記念してこのお祝いがされているのはこれが理由として言えるでしょう。私たちの為にみすぼらしくなってくださったイエス様に心からの感謝と賛美を捧げ、喜びをもってこのクリスマスを共にお祝いしていくものでありたいと願っております。