ヨシュア記 11章15〜20節  主が命じられたとおりに

<序論>
 先週の礼拝メッセージは、出エジプトの出来事からエジプトからカナンの地までイスラエル人を導いていったのが火の柱、雲の柱だったということを見ていきました。そして彼らが約束の地カナンに入る直前にその「主の柱」はイスラエル人の前から消えて、その時から彼らは「神のことば」を書き記したものを持ち始めたということが申命記の終わりの方から確認されたことです。そして、その神様のことばによってイスラエル人は、カナンの地に入ってからも主の導きに従い、すすんでいったのであります。
 そして、今日のメッセージの聖書箇所はヨシュアたちがカナンの地に入って、当時その地に住んでいた人々との戦いをおおよそ終えて、一息ついたところの記述です。ヨシュアたちはカナンの地に入ってから、そこに立てられていた多くの町を攻めて、その土地を奪い返してきました。このヨシュア記の記録を見るときに、これを「侵略」と捉える方もいるようですが、必ずしもそうではありません。カナンの地は元々神様がアブラハムをそこに導き「この土地を与える」と約束されたものです。そして、しばらくはアブラハムとその子孫、イサク、ヤコブ、までは彼らがそこに住んでいたのです。そのような意味で、土地の所有権はアブラハムの子孫にあるはずです。そして、カナン人はたまたま所有者が離れていたところに、住み着いて生活をしていたというだけであります。
 とはいえ、もちろんカナン人にとっても言い分はあるでしょう。その土地は神様からアブラハムとその子孫に与えられるという約束があったといっても、ヤコブ達がその土地を離れてから数百年も経っていました。ですからその土地の所有権がイスラエル民族にあるという事実を知らなかったということも考えられるでしょう。またその間、彼らが自分たちが生活しやすいようにその土地を管理していたのでしょうから、そこで生活できなくなるというのもいかがなものでしょうか。しかも、彼らはその土地から追い出されるのではなく、20節に「聖絶」とか「一掃」とあるように、多くの人達はその場で殺されてしまっているのです。私としても「なにもそこまでしなくても」と感じるところも、ないわけではありません。実際にこのあたりの記述で、神様に対する躓きを感じる方もいらっしゃるようです。

<カナン人が滅ぼされた理由>
 しかし、彼らが滅ぼされたのには、それなりの理由があるのです。20節に「主がモーセに命じたとおりに彼らを一掃するためであった」とありますが、神様はあらかじめモーセにはカナン人が滅ぼされる理由を語っておられました。レビ記18章24、25節に「あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべてのことによって汚れており、このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。」とあります。このレビ記18章はイスラエル民族に対して、性的な混乱に対する警告が語られている箇所です。それは近親相姦の禁止、同性での性的な関係の禁止、人間以外の生き物と性的な関係を持つことの禁止などが書かれています。しかし、カナン人がそれらの全てを行って、汚れているというのです。
 また、申命記12章31節に「あなたの神、主に対して、このようにしてはならない。彼らは、主が憎むあらゆる忌みきらうべきことを、その神々に行い、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために、火で焼くことさえしたのである。」とありますが、ここにあるのは偶像礼拝に関する記述であり、カナン人はその偶像への犠牲のために、自分の子どものいのちまでささげていたというのです。狂っているとしか言いようがありません。
 また、同じく申命記18章9〜14節にも、先住民族が行っている行為として、占い、卜者、まじない、呪術、呪文、霊媒、口寄せ等があげられイスラエル民族に、これらに対する警告が語られ「これらのことを行う者はみな、主が忌みきらわれる」と言われています。
 要するに、その当時カナンの地に住んでいた人たちは、創造者なる唯一の神様から完璧に離れきって、価値観やライフスタイルなどが、まったくおかしなものになってしまっていたのです。ですから、彼らが滅ぼされてしまったのは、彼らに対するさばきということがまず第一にあげられます。またもう一つ、イスラエル民族がカナン人の影響を受けて、彼らが同じような行為、価値観を持って真の神様から離れることがないようにとの配慮をもって、先住民族を討ち滅ぼすことをされたというようにも理解できるものです。

 私たちの知っている神様は愛とあわれみに満ちた、怒るのに遅く恵み深いお方です。しかし、それと同時に義なる神様ですので、正しいことと間違っていることは明確に区別されるお方です。ですから、適当に離れているような状態で悔い改める可能性がある場合と、全く離れきってしまい、回復の可能性を認めることができない状態では、対応に違いが生じてくるのです。「回帰不能点」とでも表現できると思いますが、神様に対する反抗も、ある程度までは神様もゆるしてくださいます。しかし反発し続け、回帰不能点を超えてしまった人に対しては、神様も明確な罰則、さばきを下されるのです。
 カナン人はその「回帰不能点」を超えてしまっていたのです。創世記15章16節にアブラハムに対して語られている神様の予告で「そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」とありますが、ここで言われている「エモリ人」とはカナンの地における先住民族のことです。これは、アブラハムの子孫が一度カナンの地から離れるけれど、4代後に戻ってくることが予告されている箇所です。そして、その理由として「エモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないから」ですが、逆の表現をすると「4代後になるとエモリ人の咎が満ちる」というように読み取れます。その時には、神様の方で「これ以上は勘弁ならない」という状態になるというのです。要するに、カナンに住んでいた人たちが、真の神様ではない、他の偶像の神に目を向けるようになり、性的にも堕落し、神様からのさばきの結果としてイスラエル民族の手によって滅ぼされたというようにも捉えることができるのです。
 確かに可愛そうだとも思えるでしょう。しかし、結局は自業自得とでもいいましょうか、カナン人達はどんどん悪に傾き、回帰不能点を超えてしまったことの報いを、自分の身に受けてしまったのです。真実なる神様は、何も問題がないのにその民族を滅ぼしたりされる方ではありません。カナン人に対する聖絶は、決して善良な市民がイスラエル人の残虐な行為によって、討ち滅ぼされたということではありません。彼らの今までの生活に対するつけが清算されたという意味での聖絶、一掃だったのです。

<カナン侵攻・戦いの記録>
 さて、随分長い序論でしたが、本日の箇所、ヨシュア記11章に戻ります。16節に「こうして…」と書かれていますが、この「こうして」はヨシュア記の1章から11章までに書かれている内容を指して、その結果をもう一度繰り返して述べていることです。この個所には、おおざっぱに土地や地域の名前が書かれているだけですので、具体的にどのような方法でその土地を奪ってきたのか、ヨシュア記のもうちょっと前の方から、彼らがそれらの町を攻め取った時の様子を少しずつ見てみたいと思います。

 ヨシュアたちがカナンの地に入ってから、最初に攻め取ったのはエリコという町でした。そのことに関する記述が6章です。この出来事は結構有名だと思いますが、2〜5節に神様がヨシュアに対して、次のように語ったことが書かれています。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」このことば通り、ヨシュアたちはエリコの町を毎日1周ずつ周り、7日目に7周回って大きな声をあげたら城壁が崩れて、町を攻め取ることができました。
 次にアイという町との戦いを見てみます。ヨシュア記8章の1,2節に「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。ただし、その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町のうしろに伏兵を置け。」とあります。この時はエリコの町を攻め取るときとは違った命令がされています。その戦略は後ろに伏兵を置くということですが、この命令通りに実施して、挟み撃ちにしてアイの町を攻め取りました。
 そして10章にエルサレムの王との戦いがあり、8節に「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」との神様からのことばが記されています。そうして、ヨシュアたちは9節で奇襲作戦を実施して、その町が滅ぼされました。
 また11章ではハツォルの王との戦いが記されていますが、6節で「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。」との神様がおっしゃっています。そしてヨシュアもやはり、9節で「主が命じられたとおりに彼らにして」とあるように、神様からの勧めの通りに戦いを行い、勝利を手にしました。

 とまあ随分急ぎ足で、ヨシュアたちの戦いを振り返ってみましたが、ここから何が学べるでしょうか。全ての町で神様から違った戦い方が示されて、その都度ヨシュアたちはその通りに実践していったので町を攻め取ることができたのです。

<7周回る話>
 これらの中で、イスラエル民族がエリコの町を攻め取ったときの話しは、けっこう特徴的なので、聖書を読んだことのある方には印象深く頭に残っている出来事のようです。それで、新しい何かの働きがあるときなど、この事を象徴的に実施することがあったりします。このような傾向は福音派の教会よりもカリスマ系の教会が行うことの方が多い気もしますが、例えば、教会に新しい会堂の計画が持ち上がって土地の購入を考えたときに、その土地が取得できるようにその周りを回って祈ったり。また、宣教大会や聖会などの集会をするときに、その会場になる場所をぐるぐる回って祈りながら、その集会の祝福を祈るということですが、聞いたことや、実際に行ったりしたことはないでしょうか。
 集会の祝福とか、神様の御業がなされるために祈ることは大切なことです。しかし、その場所をぐるぐる回ることにどれほどの意味があるのでしょうか。ヨシュアたちがエリコの町の周りを回ったのは、神様がその時そのようにしなさいとおっしゃったからその通りに回ったのです。しかし、アイやエルサレム、ハツォルの王らと戦ったときには、7周どころか1周も回ってません。もしもアイの町を攻め取るときに、エリコがそうだったからといって、ぐるぐる回って七日目に大声を出したとしても、その町を攻め取ることができたでしょうか。アイの町の城壁は崩れ落ちたでしょうか。そんなことはありません。ヨシュアたちが、カナンの地に入ってそれぞれの町を攻め取ることができたのは、その都度神様に聞いて、その導き通りに戦ったからであります。前回うまくいったから今回もそれと同じ方法で…というのは間違いです。ですから、現代に生きる私たちが、ヨシュアがエリコの町を攻め取ったときに、この方法を行ったからといって、それをそのまま実践するのは、愚かなことです。

<他人の真似の愚かさ>
 さて、ここまでは皆さん特に疑問も感じずに、そのまま受け入れていただけるでしょう。しかし似たようなことが、私たちの信仰生活の中にも影響を与えていたりしないでしょうか。例えば、お隣の国韓国では、随分宣教がすすみ3割程度はクリスチャンだったりするようです。それで、日本の教会でもそれにあやかろうとして、韓国がどのような伝道方法をとったのか研究したり、直接韓国に行って学んでくるとか、韓国から講師を呼んで証しを聞いたりすることがあったりします。もちろん、そこから学ぶことは多くあるでしょう。しかしだからといって、それをそのまま真似して私たちが実践したとして、どれほどの効果が期待できるかというと疑問です。韓国には韓国の文化があり、隣の国でありながら日本の文化とは多くの点で違いがあります。ですから、韓国での宣教方法をそのまま実践したからといって同じ実を見ることができるわけではないのです。
 また同じ日本国内であっても同じようなことが言えます。どこかの教会で著しい成長があった場合、他の地域教会から注目を浴びるでしょう。そして、そこで何が行われているのか、どんな礼拝や伝道集会がなされているのか、やはりそれらのスタイルを研究したり、その教会に行って見てくるとか、その教会の牧会者を呼んでセミナーを開催してもらったりということがあるでしょう。しかし、それもその地域のその働き人が行ったから成功した方法であって、賜物と召命はそれぞれに違うのですから、それをそのまま私たちがまねて取り入れたとしても、必ずうまくいくというわけでもありません。
 このようなことは教会に限らず、個人的なレベルでも同じ事が言えます。どこかの誰かが大変神様から祝福を受けて、信仰も成長し、神様に多く用いられているとします。そうなると、やはりクリスチャンの少ない日本では、注目を浴びて、クリスチャン関係の新聞やテレビ番組等で取り上げられたりします。また、その人の証し本が発行されると、たくさんの人が飛びつくでしょう。そして、自分もそれと同じように祝福を受けたいと、それをそのまま真似する人が出てきたりします。さて、それもうまくいくのでしょうか?
 私たちは個人個人、皆個性があり、それぞれ違うのです。私と同じ人が世界中どこにもいないのですから、私は誰とも同じではないのです。私がうまくいったからといって、それを他人に適用して「あなたもこうしなさい」というのは、絶対的な成功を約束するものではありません。そして他人の経験をそのまま真似るのも同じ事です。
 または、自分で行ったことについても、前回うまくいったからといってそれを何度も繰り返すのは賢い方法ではありません。過去と現在では状況が違うのです。繰り返しますがヨシュアたちがカナンの地に入ってから、多くの町を攻め取りましたが、その都度違った方法で戦い、勝利していったのです。

<成功の秘訣>
 では成功の秘訣は何でしょうか。ヨシュアたちは人に聞いたのではなく、常に神様に聞いて、その都度神様から導かれた方法を忠実に実践していったのです。そして一度うまくいったからといって、その方法に固執することなく、新しいことについても神様からのことばを信じて、積極的に取り入れて行動していったのです。この信仰こそが、彼らがカナンの地で数々の町を攻め取っていく事のできた秘訣であるといえます。
 方法論に固執すると、神様から聞かなります。聞かなくてもやり方についての知恵があるからです。そしてそれがうまくいっているのなら、変更することについての抵抗も覚えるようになるかもしれません。しかし、常に同じ事をやり続けるのはイスラエル民族がいつも戦う前に7周回って大声を上げるのと同じ事になります。それではその先に進むことができません。その時にはその時にふさわしいやり方があるのです。

 また、成功が続くと神様に聞かなくても、大丈夫であるかのような錯覚を覚えるかもしれません。ヨシュア記7章には最初のエリコの町で大勝利を収めたヨシュアたちが、アイの地での戦いにおいて、神様に聞くことなしに、自分たちの考えで行動して戦いに出たところ、大苦戦をして逃げ帰ってきたことが記されています。この背後にアカンという人の不信の罪がありましたが、もしも神様の御心を確認してから戦いに出たとしたら、このようなことにはならなかったでしょう。ヨシュアたちはそのような失敗を通して、神様に聞き続けることの大切さを学んだのでしょう。

<まとめ>
 先週のメッセージで火の柱や雲の柱が無くなった後、ヨシュアたちは神様のことばであるところの「みおしえのことば」を持つようになったことを確認しました。火の柱や雲の柱で導き続けた神様が今度は、神のことばで彼らを導いていった記録が、このヨシュア記です。ヨシュアたちは、この神様のことばに聞いて、そこからの導きに忠実であったときに成功しました。神様のことばを聞かないで、人間的な知恵で判断して行動したときに、問題が発生しているのです。このような原則は現代の私たちクリスチャンにもそのまま当てはめて良いものでしょう。
 今週の中心聖句は、ヨシュア記11章15節の「主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行い、主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。」です。ヨシュアがどれほど神のことばに対して忠実に応答していったことでしょうか。神様はヨシュア記1章で、昼も夜も、神のことばを口ずさむことを勧めています。そうすることで神様の祝福が約束されているのです。それが具体的な形として、約束の地カナンに入っていったときに、確実に勝利を手にすることで、ますます確かなものとして確信も与えられていったのではなかったでしょうか。

 私たちの信仰生活の中で、どれほど神様のことばに親しんでいるでしょうか。神様の御心を確認することなく進んでしまうのは「信仰」による行為ではありません。神様に聞き、神様の御心を確信して、その導きに対して忠実に、誠実に応答するときに、ヨシュアが得たような勝利をものにできるのです。それが信仰を持つ者の歩みです。

 私たちが、カナン人のように神様から離れ、回帰不能点を超えてしまうことで、神様からの裁きを受けてしまうことがないように。かえってヨシュアたちがそうであったように、常に神様との親しい関係にとどまり、その方からのみことば、聖書のことばによってなされる導きに信頼して、その主の導きの通りに行動し、神様からの豊かな祝福にあずかる、お互いでありたいと願っております。