マルコ 15:16〜22 十字架を背負って
【十字架を担ぐイエス】
今日メッセージの聖書箇所として、取り上げさせていただいたところは、イエス様が十字架を担がれて、ドロロサの道を歩まれた出来事のところです。この時すでにイエス様は、からだをむちで打たれ傷つき、体力的にも相当落ち込んでいました。また、その直前にイエス様の受けた裁判は夜通し行われていたものでしたから、イエス様は前の晩一睡も出来ていなかったはずです。身体は傷だらけで睡眠もとっていない、まさに疲労困憊の状況だったことでしょう。数年前に「パッション」という映画が上映されて、ずいぶん話題になりましたが、ごらんになった方は、映画でイエス様役をしていた人が、体中傷だらけで演技をされていた様子を思い出されるかもしれません。
そのような状態で、今度は自分自身がつけられる十字架を担いで、ゴルゴダの丘までの道を歩まれました。それまでに身体を打たれ、ひどく傷ついていたイエス様には、この十字架の木を担いでゴルゴダの丘まで歩いてたどり着く力は残っていなかったようです。途中で十字架を担ぐことが出来ずに、何度も倒れたという伝承も残っています。そのようなイエス様の姿を見て、ローマ兵のいらだちもつのり、しびれを切らして他の人にこの十字架を担がせようとして目を付けられたのが、21節に登場する「シモンというクレネ人」でありました。
【クレネ人シモン】
クレネ人とあるので、このシモンさんは異邦人だったのではないかと思いきや、彼の名前が「シモン」であることから考えると、この名はユダヤ人の名前です。イエス様の弟子の一人ペテロもその本名はシモンです。またこの「シモン」という発音はヘブル語の「シメオン」の短縮形で、イスラエルの12部族の一つに「シメオン族」というのがありまして、ヤコブの12人いる息子の中の一人の名前です。またその意味は「聞く」という意味のヘブル語「シャマー」とことばから来ており、ユダヤ人として由緒正しい名前と言えます。
そして、クレネというのは現在のリビアという国の海岸都市です。リビアはエジプトの西隣の国です。イスラエルに来るためにはエジプトを東西に渡ってこなくてはなりません。クレネからエルサレムまでの距離は約1200Km。この距離は豊明からだと南は九州鹿児島の最南端の佐多岬、北に向かうと青森県は下北半島の最北端までの長さになりますので、彼は移動にとんでもない日数をかけてやってきたことになります。
今日の出来事は「過越の祭り」の期間中のものですが、この祭りには多くのユダヤ人がエルサレムに集まります。イスラエルの3大祭り、仮庵の祭り、過越の祭り、7週の祭りは成人男子ならエルサレムに上ることがモーセの律法で義務づけられておりましたのでユダヤ人であるクレネ人シモンもこの祭りに参加するためエルサレムに来ていたことになります。
そして、このイエス様が十字架を担いで歩まれたところに出くわしたということは、彼自身、今からまさに神殿に行って祭りに参加し、神様を礼拝しようとしていたところだったはずです。それが何の因果か自分がイエス様の代わりに十字架を担いで歩かなくてはならない羽目になったのです。
そして、その十字架には、イエス様のからだから流れ出た血がべったりとついていたでしょうから、十字架を担いだことによって彼にその血がついたことでしょう。そうなると彼の服に血が付いたことによって「汚れたもの」と見なされてしまい、せっかく1200キロも旅をしてモーセの律法に従って、過越の祭りに参加するためにエルサレムまでやって来たのに神殿に立ち入ることは出来なくなってしまうのです。どう考えても、理不尽な出来事であるとしか言いようがありません。
彼は神殿で神様を礼拝することを目的として、はるばる遠くの国から過越の祭りにやってきたのでしょう。しかし、この十字架を担がされたということは、わざわいとも言えるような出来事です。この時のシモンはどのように感じていたのか、想像するとしたらこんな感じでしょう「せっかく過越の祭りで礼拝するために、はるばるやってきたのに、十字架かつがされるなんて。この男が自分で担いで丘まで運ぶことが出来れば、自分はこんな事にならなくてもすむのに。自分がこんな目に遭っているのはこいつのせいだ。おかげで神殿に入ることも出来なくなってしまった…」このときの彼の心の中に不平や不満、いらだちというものがあったとしたら、その矛先はイエス様に向かっていたのではなかったでしょうか。
そうして、彼はなんとか十字架を運び終えゴルゴダの丘に到着します。クレネ人シモンにしてみれば、ようやくその重みから解放されて、ほっとしたひとときだったでしょう。彼は自分の服に付いたイエス様の血によって、神殿には入れません。ですから彼は過越の祭りで神様を礼拝するということは、できなくなってしまいました。そうなると彼はこのゴルゴダの丘での出来事を最後まで見ていたということも考えられます。すると、そこでは自分が身代わりに十字架を担いでいた男が、十字架に釘付けにされていきます。これで、彼もようやく腹の虫が治まりかけてきたかもしれません。しかし、そんな感情も十字架上でのイエス様を見続けていたのなら、思いも変わってきたと思います。
【十字架上のイエスを見て】
そのゴルゴダの丘で十字架に付けられたイエス様の姿に目を向けてみたいと思いますが、比較的詳しく書かれている、ルカの福音書23章を見ると、次のようにあります。
十字架に貼り付けられたイエス様の口から出たことばは「父よ彼らをお赦し下さい。彼らは自分たちでは何をしているのかわからないでいるのです(34節)」というものでした。自分を痛めつける者たちをののしるのでもなく、それどころか、彼らのために天の神様に許しを請う姿がそこにあったのです。またイエス様と一緒に十字架につけられていた犯罪人にイエス様が「今日あなたは私と共にパラダイスにある(43節)」ともおっしゃっています。これらのセリフもクレネ人シモンは聞いていたことでしょう。彼はそのようなイエス様に対して、他の人とは違う何かを感じていたのではなかったでしょうか。
さて、このクレネ人シモンという人について、聖書の記述から分かるのはイエス様の十字架を身代わりに担いだ人物というだけです。他の福音書にも、この人のことは登場しているのですが、今日メッセージの聖書箇所とさせていただいた、マルコの福音書には15章21節に「アレキサンデルとルポスとの父」と家族構成が載っています。どうしてここに、わざわざ、このクレネ人シモンが誰の父親であるかが書かれているのでしょう? この福音書の記者、マルコはどうしてこのようにクレネ人シモンを紹介したのでしょうか。
マルコがあえてこのように書いているのは、ただ「クレネ人シモン」と書くだけではなく「アレキサンデルとルポスとの父」と書くことによって、読者が「ナルホド、あの人か…」と理解出来たからだと思われます。「アレキサンデル」とか「ルポス」のことを、この福音書の読者達は知っていたということになるでしょう。
このマルコの福音書はローマで書かれたといわれています。だとしたら、マルコがこの福音書の読者として意識していたのは、ローマにいたクリスチャン達であったはずです。そして、ローマの教会にどのような人たちがいたのか、ローマ人への手紙の最後16章にあるパウロの挨拶文の中に何人か書かれていますが、その中の13節に「主にあって選ばれた人ルポス」とあります。マルコの福音書でクレネ人シモンは「アレキサンデルとルポスとの父」と書かれてありました。この2箇所に登場している「ルポス」は同じ人物であったと推測されます。ローマの教会にルポスがいて、彼の父親が、実はイエス様が十字架に架かられたとき、その十字架を運ばれたその人であったということ。そのように考えるのなら、ここで、マルコが、クレネ人シモンを紹介するとき「アレキサンデルとルポスとの父」と書いている理由が説明できるでしょう。そして、このルポスという人がローマの教会に集うようになったきっかけというのが、その父の影響であったというのが十分に考えられます。また、アレキサンデルとルポスにしても、自分の父親がイエス様の十字架を担いであるいたということが、彼らの誇りとも感じていたのではなかったでしょうか。
【推察 もしも…なかったら】
さて、その父「クレネ人シモン」ですが、イエス様の十字架を担いでドロロサの道を歩いているときは、どうして自分がこんな苦しい目に遭わなくてはならないのだろうと、つぶやいていたかもしれません。しかし、そうであったとしても、彼がイエス様がどのような方であったのか理解した時、彼がイエス様のことを信じた時、それまで彼が感じていた全ての不平や不満は解決されたばかりか、関わることのできたことに対する感謝の思いで満たされたのでなかったでしょうか。
逆に彼が十字架を担いでいなかったとしたら、彼はそのまま神殿に行き、過越の祭りを祝って、またクレネに帰っていっただけだったかもしれません。しかし、イエス様の十字架を担いだことで、逆にもっと大きな祝福に与ったのです。彼自身が十字架を担ぐという大きな体験をしたからこそ、イエス様の姿に注目することも出来たのでしょう。それが彼がイエス様のことを信じるきっかけとなり、彼だけではなく彼の子ども達もその祝福に与ったということだったと思われます。イエス様の身代わりに十字架を担がれた人に対して、神様が誠実に報いてくださらないわけがありません。彼が選ばれ、十字架を担いだこと、実はそれ自体が祝福であったとも理解できると思います。
【自分の十字架】
ところで、この十字架を背負うということは、マルコの福音書の8章34節にもイエス様のことばが記されています。本日の中心聖句として選ばせていただきました。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
この聖書の箇所はイエス様の弟子達に対して語られているもので、それぞれに自分の十字架を負ってイエス様についてくるようにと言われています。イエス様の弟子としてふさわしいものとは、自分の十字架を負って、イエス様についていく者であるというのです。ということはイエス様によって召された者には、それぞれに負うべき「自分の十字架」というものがあるのでしょう。
とはいえ、ここで言う「自分の十字架を負う」ということが、何か「これが自分の十字架だ」というものを木とか何かで作って、それを、背負い続けることでは、勿論ありません。そんなことをしたからといって、イエス様についていっていることになったり、みことばが要求していることを実践していることにはならないのです。
イエス様にとっての十字架は、文字通りの十字架における犠牲であり、そこでイエス様はご自身のいのちを捨てられました。そして、それが象徴しているのは父なる神様への忠誠と従順であり全き献身と共に、完全な自己否定の現れでありました。そのようにして神様の愛を積極的に現されたのです。それは究極的にはいのちまでの捨てるほどにです。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15:13)」とイエス様は語られました。イエス様はこの最も大きな愛を現されたお方です。このイエス様の十字架はそのような自己犠牲の愛を現しているものです。
そして、私たちも負うべき十字架があるというのなら、それもやはり、自己犠牲の愛の行為であるといえるのではないでしょうか。その私たちにとっての「自分の負うべき十字架」ですが、具体的に何を指すかということについて、直接聖書は語っていません。しかしイエス様の十字架が何を意味しているかと考えると、それを私たちに適用していくことができると思います。イエス様にとっての十字架、それは神様や隣人に対する愛の行為であり、自分を捨てるという事でした。ですから、私たちにとっても自分の負うべき十字架とは、自己中心的な考えにとらわれることなく、自己犠牲による愛の行為で、心と思いと力と知性との全身全霊を持って父なる神様を愛することであり、自分を愛するように隣人を愛することになるでしょう。
しかし、一言で「愛する」とは言っても、そんなに簡単なことではありません。愛そうと思っても、できない苦しさが心をおそうこともあるでしょう。クリスチャンといえど所詮罪人、私たちの心は自己中心の固まりです。ですからこの「自己犠牲」という十字架を背負っているときには苦しいものです。しかしそれを決心して自ら負ってイエス様の後をついていったのなら、その先では神様が備えてくださっている、豊かな祝福にあずかることが出来るのです。
クレネ人シモンが十字架を負ってたどり着いたところで彼が見たのは、その十字架にはり付けられたイエス様の姿でした。彼は神様の栄光を目のあたりにすることができたのです。私たちも十字架を負ってたどり着いた先には、その十字架をもって、神様の愛が現されるイエス様の犠牲を目の当たりにすることでしょう。辛いところ苦しいところは通ります。しかし、最後には必ずや神様が祝福してくださいます。いや、その十字架を背負うこと自体が実は祝福なのだということもできるでしょう。
私たちも信仰者としての人生を歩んでいく時、突然自己否定の要求を突きつけられたりしたらどうでしょうか。クレネ人シモンがローマ兵から半ば無理矢理に十字架をかつがされたように、避けるに避けられないような状況で、苦しみを受けることがあるかもしれません。
しかし、それをなすことによって、自分自身が犠牲をおって、神を愛することか、隣人を愛することになるのなら、それが自分に架せられた十字架であるかもしれません。一時的に辛い思いをしたり、しんどい体験であるかもしれません。しかし、それを乗り越えたところには、神様からの祝福、神様の栄光が備えられているはずです。
「もうだめだ」と思うようなこともあるでしょう。しかし、そんなときにはイエス様の負われた犠牲を思い出すのです。そして、その自分のために苦しみ、いのちまで捨ててくださったお方が、自分と共にいてくれることに目を留めるのです。それを乗り越える力も神様から与えられるはずです。真実な神様、愛なる神様が私たちに与えてくださるのは、わざわいではなく、将来と希望を与えてくださるものであるからです。
【結論】
この世の御利益宗教は私たちに苦痛からの解放を宣言します。しかし聖書はそれとは逆に辛いことや苦しいことには会うのだと語っています。ですから、突然十字架を背負わされるような出来事に遭遇したとしても、驚き怪しむことなく、将来の希望、神様の栄光に目を向けて、忍耐強く乗り越えていくことができますように。
かえってイエス様が負われ、はりつけにされた主の十字架に目を向け、元々それは自分が受けるはずの苦しみであったことを覚えることができるように。また、その様な視点に立ったのなら一時的に辛い思いをしたとしても、決してそれに打ち負かされることなどないはずです。